ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く  2024年

16  オスケメン(2)

 

 

 オスケメン中心部のアパート12階で迎えた朝。朝食は黒パンにクリームチーズを塗って食べた。飲み物はカボチャとリンゴのジュース。昨日、ショッピングセンターADK内のスーパーマーケット「アルマストール」で買っておいたのだ。

 

 

 朝食を終えるとちょうど7時半であった。もう外は明るくなっている。バルコニーに出ると、イルティシ川からの川霧が地表を覆っていた。その霧の中からムハンマドモスクが浮かび上がり、墨絵のように幻想的な風景だ。

 さて、そのムハンマドモスクは、独立広場の端に川を背にして建てられている。位置からすれば街の中心的なモスクのように思われる。しかし、規模も小さいし、ライトアップもなされていない。アパートのテラスからは指呼の距離にあるのに、アザーンも聞こえてこない。

 

 

 

 一体、どんな状態なのかと、公園のようにトドマツなどが植えられた独立広場を横切って近づいてみる。すると門には鎖と南京錠が掛かっている。閉鎖されているのであった。

 

 

 地図によれば、カザフスタン大通りの向かいにも、オルタリクという小さなモスクがあることになっている。昨夕は気がつかなかったがと思いながらトラムの線路を横切ると、青い円屋根を載せた平屋の建物があった。外壁や窓まわりはロシア風で、屋根瓦だけが毒々しいほど鮮やかなブルーである。内部を覗いて見たけれども、白いペンキ塗りのごく普通の部屋があるだけのようだ。外観の写真だけ撮って素通りする。

 

 

 ところで、今朝はことのほか路面が滑りやすい。今日の最低気温はマイナス28度というから、氷の硬さがこれまでとは違うのだろう。コクシェタウでは道行く人に老人が多く、皆、ゆっくりと歩いていたが、オスケメンには若者が多いのか、軽やかに歩いて行く人が多い。とはいうものの地元民でもときおり転んでいる人がいる。今はいている靴は、これまでのところ凍結した路面でも問題は無かったのだが慎重に歩くに越したことはない。

 

 歴史を紐解けば、18世紀においてこの街はロシアの対カザフ前哨基地であった。古地図を見ると、はじめは長方形の、後には増築されて不整形になった要塞が描かれている。場所はイルティシ川に支流のウルビ川が合流するあたり、陸地が舌のように突き出した今日のストレルカ地区である。

 しかし、当時の遺構は残っていない。街路に痕跡が残っているようなこともない。唯一、往時を偲ばせるものは、城砦を意味する「クレポスチ」の名で呼ばれる塔が公園の中に建っているだけなのである。ただ、この塔、本物の遺構なのか、公園の遊具なのか、写真を見ただけでは判別がつかない。その真偽を確かめるべく、ストレルカ地区に向かう。

 

 

 

 イルティシ川沿いの道に出て、西へと向かう。通りの反対側は川に面した遊歩道なのだが、そちらは雪かきがされていないので歩けない。味気ない道を数百メートル行くと、アパートに囲まれた公園の中に「クレポスチ」は建っていた。近づいて観察するに、これは遺跡なんかではない。少々がっかりするが、記念のモニュメントだと思えば腹も立たない。

 

 

 

 

 「クレポスチ」から、イルティシ川沿いに2ブロック先へ進むと、アパートが建ち並ぶ中に、この街随一の教会群が現れる。この教会群は修道院ほか、幾つかの施設の複合体である。もちろん要塞よりも後に建立されたはずだが、そのあたりの経緯はよくわからない。敷地のへりには土手状のものがあるのだが、これも元は教会群を取り囲んでいたのか、要塞の一部なのか、はたまた全く無関係なものなのか、さっぱりわからない。

 

 

 

 建築群の中で一番大きいのは赤レンガの躯体に金色ドームを載せたアンドレーエフ大聖堂であるが、これは玄関に鍵がかかっていて、中に入れない。

 

 

 

 

 

 奥にある、白壁が清楚なトロイツカヤ教会に入ると、ミサが行われていた。小さな聖堂だけに音響効果が抜群に良い。参列者たちの後姿が、まるで映画のエキストラのようだ。

 

 荘厳な儀式を堪能して、帰途につく。教会群の敷地を出て、アパートへの生活道路を横断しようと一歩踏み出す。その途端、足を滑らせ、左側面を下にして、ものの見事にひっくり返った。一瞬の出来事で、しばらくは何が起こったのかわからないほどであった。肩から二の腕にかけて、かなりのダメージを受けたことは確かで、そのあたりが痺れて、感覚がなくなっている。

 何とか起き上がって、前よりもさらに慎重に歩きだす。だが、今はいているこの靴では、また転んでしまうかもしれない。滞在先のアパートの並びに、衣料品や靴の店が入ったショッピングセンターがあるのを思い出した。オルタリク・バザールと言う名で、昨日覗いたところでは、60年代から半世紀以上も変わっていないような、レトロな雰囲気であった。

 

 

 オルタリク・バザールの1軒で雪道用の靴を購入。19,000テンゲ(6,300円)と、それなりの値段である。カザフスタンでは、靴は全般に値が張るようだ。しかし、履いてみると凍った路上でも全く滑らない。滑らないどころか、地元民のように軽快に歩けるではないか。もっとも、既に転んでしまっているので、後の祭りと言えなくもないが。

 

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