ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く  2024年

13 パブロダール(4)

 

 ショッピングモール・クワザールに併設の中央市場は、活気もなく物足りなかった。実は今、パブロダールで最も人気のある食料品市場は街の中心部ではなく、郊外にあるジャイラウなのだそうだ。幸いにしてトラムが通じているので簡単に行く事が出来る。

 「モスク前」電停から7系統の電車に乗る。運転手に切符を所望すると、ゾーンを聞かれた。車内の運行系統図を見ると、郊外に延びた枝線部分は点線で表示されていて、非建築ゾーンだと書いてある。地図によれば非建築ゾーンの沿線は工場だったりダーチャだったりして、確かに住宅は建っていない。通勤時間帯や夏の休日ならばともかく、冬の昼間に利用客があるとは思えない地域である。

 実際問題、この車両も鉄道線路を越える手前の停留所で自分以外の客は皆、降りてしまったのだ。そんな状態であっても、この街の電車は途中で折り返すこともせず、律儀に終点まで往復しているのである。それで、運賃はゾーン制なのかと思ったらそうではないようで、ゾーンを分けることに何の意味があるのかわからない。

 

 7系統の電車はナザルバエフ通りを北上し、パブロダール駅の西側で鉄道線路を越えて、非建築ゾーンに入った。ここからは人家もないような区間で線路はまっすぐだからスピードを思い切り出すかと思いきや、相も変わらずゴロゴロ・ノロノロとしか走らない。

 この街のトラムは新型車両であっても乗り心地は変わらないので、これは線路の保守が行き届いていないということなのだろう。窓外が殺風景なだけに、わずか数分の区間がとても長く感じられる。

 

 

 

 

 フェルメルレル市場という停留所で下車。「ER」の文字が3つ並んだ響きの良い名前である。停留所名のフェルメルレルとはすなわちファーマーズであって、その名のとおりジャイラウの駐車場に接してホームがある。トラムが通じていても大半のお客はクルマでやって来るようだ。駐車場には何台もの自家用車が停まっている。

 

 

 現在のところ、売場は平屋の建物が一棟だけであるが、その左右には同規模の建物が建築中である。これらが売場だとすれば、面積は一挙に3倍となる。

 敷地の周囲には何もなく、雪原が広がっている。非建築どころか、荒野のなかにポツンと建っているかのようだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、店内に入ってみると、ホールを囲んで店が並んでいた。中央にも平台を並べた店があり、ハチミツの店がかなりの面積を占めている。一番奥の仕切られた部分は、ここでも肉屋である。

 内装や看板がクールなせいか、並べられた食材がどれも美味しそうに見える。ひと回りしたあと、ミカンを少し購入する。小型の温州ミカンほどの大きさで、デコポンのようなヘソがついている。だが、よく考えたら、カザフスタンのこの寒さで柑橘類が実るだろうか。輸入品だったかもしれない。量り売りで3個が252テンゲ(85円)。端数の2テンゲは、おまけしてくれた。

 

 

 

 帰りは6系統の電車に乗った。この路線は先ほどの7系統とは別のルートで鉄道線路を越え、市街地に入ってゆく。マシュフル・ジュシプ通りに折れて少し南に下ると、歩道の人通りが増え、露店が並んでいるのが見えた。次に停まったレールモントフ電停で下車する。

 

 

 

 

 

 

 

 手袋やマフラーを並べたストールを見ながら歩いてゆくと、マナクバイ・バザールの入口があった。四角い建物の中には雑貨や衣料品の店が集まっていて、全体的にひと昔前の雰囲気が漂っている。何だか大阪駅前ビルの地下街にも似ている。それだけに親しみが持てるのか、この街の他の「バザール」よりもお客が多い。1階の一番奥にはやはり精肉部門があって、ここだけが異質な感じだ。

 

 

 マナクバイ・バザールの隣にも似た様な入口があり、オルジャというショッピングセンターになっている。但しこちらは通りに沿った細長い建物で、しかも2棟をつなげたのか妙なところに段差があるし、地下トイレへの階段など斜めの天井が目の前に迫ってくるほど低い。この建物自体、元々は別な用途に使われていたのか、中廊下に面しているのは店の入口だけで、ショーウインドウの類がない。その入口にも看板すらなく、部屋番号の札だけが下がった店舗も多い。まあ、入口まで来れば店内の商品は見えるのだし、こんなところで買い物をするのは地元民ばかりだから、これでも一向にかまわないのだろう。

 

 

 

 

 あたりを歩き回っているうちに、勝利広場に出た。広場というより公園のような場所で、木立の中の歩道を進むと、大祖国戦争を記念するモニュメントが現れた。「栄光のオベリスク」と名付けられた3本のトンガリ柱が建っていて、足元の地面には「永遠の火」が燃えている。今日はことのほか寒い日で、街頭の温度計はマイナス16度を指していた。写真を撮ろうと手袋を外すと指先がかじかんでしまうし、カメラの動きもおかしい。手を炎にかざして、わずかでも暖をとる。

 

 

 電車通りと直交しているレールモントフ通りに戻った。この通りでは、アパートの1階に店舗が点在している。歩いて行くうちに、それらの中に1軒のケーキ屋があるのを見つけた。ショーケースを覗くとキャロットケーキがあるので、いそいそと入店して注文する。

 この店は店員のかぶっているスカーフやメニューカード、ガラス瓶に入ったくじなど、濃い水色がテーマカラーになっている。12000テンゲ以上買うとくじが引けて、ドバイ旅行があたるのだとか。どういうわけか店員の女の子たちは全員が素朴な顔立ちで、レジ打ちにもまだ慣れていない様子が伺える。

 キャロットケーキはチーズクリームの層が厚くて、これがうまい。遊牧の民カザフならチーズクリームはお手のものだろう。

 

 

 この店はトイレもきれいだったし、ケーキもコーヒーも美味しかったし気に入った。ピザなどの軽食も置いている。

 表に出て、店の名前を確かめると、ラテン文字で「TOH TOMMI」と書いてあるようだ。トン・トンミとは中国語みたいで奇妙な名前だなと思う。しかし、本当はキリル文字表記のカザフ語で「ТАП ТАТТⅠ」と書いてあり、タプ・タッチと読むのだった。この発音ならロシア語にも「踏む」という意味の動詞がある。

 

 

 ケーキを食べているうちにすっかり日が暮れてしまった。道の向かいにある銀行のネオンサインが夜空に映える。

 

 

 

 今夜は、受胎告知主教座聖堂の夜景を見ようと思い立った。レールモントフ通りを西へ歩き、イルティシ川沿いのプロムナードを経由して行く。段丘斜面の遊歩道には人影もなく、白い照明が凍った路面を照らしているばかりだ。

 

 

 

 

 聖堂の夜景であるが、残念ながらあまり美しいものではなかった。赤茶色の石材は、ライトアップ向きではないようだ。堂内も中途半端に暗く、イコノスタシスも昼間に見たような清々しさが感じられない。

 

 

 聖堂は早々に退散して、夕飯を食べに街の中心に戻る。往きとは別な道をとり、アパートの間を抜けてレールモントフ通りに出たところで、1軒のアスハナに出くわした。看板にはハラールとあり、「24/7」とも書いてある。24時間、休業日なしのようだが、この街で深夜のレストラン需要がどれほどあるのだろうかと思う。

 この店の名前もラテン文字のMとキリル文字のTとが紛らわしくてよくわからない。(正解は、ラテン文字のTAGAMであった。)

 カフェテリア方式のカウンターから鶏肉の団子とリゾットをメインに取る。なかなか美味しくて、パブロダールにも良い店があるじゃないかと思う。

 歩き回って分かったのだが、結局のところ、パブロダールの街には明確な中心というものは存在しない。その代わりに比較的小規模な市場が市街地に点在し、その周辺がわずかな賑わいを見せているに過ぎないのだ。だから、美味しい店も自分の足で探すしかないのだろう。

 

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