忠清北道 地味な旅行記 2024年

8 曽坪  

 

 

 早くも旅行の最終日になってしまった。一昨日の大雨で予定を変更したから、今回の旅行では韓国の鉄道にまだ乗っていない。

 清州空港には忠北線の鉄道駅もあるのだが、日中は本数が少なく、搭乗便がLCCであることを考えると時間が微妙である。

 しかしながら、昨晩、ネット検索をしていると、空港の手前にある曽坪(チュンピョン)という町からも空港へのバス路線があることがわかった。曽坪には鉄道も通っているし、バスの時刻も適当である。

 

 

 今朝のサイパンホテルには、ちゃんと朝食の用意があった。朝食といっても、ゆでたまごに食パン、ドレッシング入れに入ったイチゴジャム、コーヒーといったレベルである。

 一応、おなかを膨らませてバス停に行く。乗車したのは、水安堡温泉7時40分発のバスである。

 バスは大きな川を2回渡って、忠州の市街地に入った。南漢江の支流である達川(タルチョン)で、茶色い濁流が渦を巻いて流れている。市街地に入るとバスの乗客が増え出しはしたものの、渋滞に巻き込まれることもなく、水安堡から40分で忠州駅前に到着した。

 

 

 工事中の仮駅舎に入り、出発案内を見上げる。すると、8時35分発のムグンファ号が表示されているではないか。急いで切符売り場に行くと、女性の係員がサッと笑みを浮かべた。彼女は手際よく発券してくれ、跨線橋を渡ってホームに出る。意外と乗客が多いと思ったが、列車は4両編成で、ガラガラであった。

 

 

 忠州を発車してすぐ、先ほどバスでも渡った達川を横断する。雨が激しくなり、雲が10階建てのビルくらいの高さまで降りてきている。

 陰城という、沿線では中堅どころの駅に停まる。松の木の下に大きな貨物上屋があって、名前のせいか陰気な町に見える。

 途中には休止中の駅もいくつかある。旅客列車は全て通過でもポイントは生きていて、列車の交換ができるようになっていた。

 

 

 車内に曽坪到着のアナウンスが流れる。白い高層アパートが何棟も見えてきた。思いのほか人口は多いようだ。曽坪郡としての人口は約3万5千人だという。

 しかし、曽坪駅で降りたのは自分も含めて2人だけであった。ホームの端には構内踏切があり、駅員が遮断機の前に立っている。遮断棒は踏切の幅の半分程度しかないけれども、安全のためにはこれで十分だと思う。

 

 

 駅前広場に出て駅舎を振り返って眺める。町の規模からすると過分なほどの大きな駅舎である。開口部の上端につけられたアール、2階に連続する窓、列柱がならぶ車寄せなど、一応のデザインはされている。しかしながら、全体的な色合いがいかにも陰気くさい。

 

 

 

 利用客が少ないから、当然ながら駅前に商店などはなく、まっすぐ下ってゆく駅前通りも閑散としている。駅前通りを数百メートル行くと丘の縁で、坂下には市場のアーケードが見えてきた。右手の方には木立ちの塊がある。行ってみると、やはりそこが檀君殿であった。町を見渡す一番良い場所に位置しているのだ。

 檀君は言うまでもなく朝鮮の始祖とされる伝説上の王であるが、この人を祀った廟というのは、あまり聞いたことがない。「社務所」を併設した門の前には金色の檀君像が鎮座している。しかし、境内には参道の先に小さな本殿があるきりで、なんだかガランとしている

 本殿の障子は閉ざされているので破れ目から覗いてみると、位牌のようなものが置かれているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 坂を下りて、アーケードを連ねたチャントゥル市場へ行く。やはり町の規模からすると随分と立派な商店街であって、道の幅も広い。ところが、そのせいで車がアーケードを通過していく。これはよろしくない。

 路面の中央部には白線で枠がペイントされているから、五日市の日にはここにも店が並んで賑やかなのだろう。今日のところは通る人も少なく、統一された電飾看板が虚しく光るばかりだ。

 

 

 アーケードを抜けたあたり一帯が、曽坪の中心街である。表通りにひととおりの店が並んでいるのは良いとして、脇道は飲み屋街で雑然とした町並みだ。

 スクランブル交差点があって、渡ったところにはバスターミナルがある・・・はずであるが、いつのまにか曽坪大橋のたもとに出てしまった。振り返ると雑居ビルの屋上に「曽坪市外バスターミナル」と出ているのが目に入った。タイル貼りの薄汚れた建物である。

 

 

 

 先に空港行きの乗車券を買っておこうと、中に入る。窓口上に掲出された時刻表を見ると、時刻が軒並み黒く塗りつぶされている。中には全便が廃止になった行先もあり、全体としても半分も残っていないありさまだ。

 幸い、13時50分発の清州空港経由天安行きの便は消されていず、無事に乗車券も買えた。たった15分の乗車でも例によって座席指定である。

 

 

 さて、通りのところどころにある地図によれば、市街地の北方に弥勒寺なる寺があるらしい。距離などはよくわからないけれども行ってみようと思い、宝崗川に架かっている曽坪大橋を渡る。対岸はいわば曽坪の新市街地で、郡立図書館やハナロマートがあり、その背後に列車からも見えた高層アパートが並んでいる。

 そして、川沿いには緑豊かな公園が続いている。何でも、この町はグリーンシティを標榜しているとか。その公園を北東方向へ1キロメートルほど歩くと、弥勒寺への標識が現れた。

 

 

 

 

 

 背後に丘を背負った弥勒寺は新市街のとっぱずれに位置していた。丘の斜面に大雄殿や地蔵堂が並んでいるけれども、雨模様の天気のせいか、いずれも扉が閉ざされている。

 地蔵堂の外壁には、徳周寺と同じ樹の生えた魚のモチーフが描かれていた。ただし、こちらの木魚は撞木と一緒に宙に浮いている。

 

 

 境内には運動会で使うような白いテントが張ってあった。再び雨が降り出したので、テント下のベンチで雨宿りする。天幕の下には植木鉢が並べられていて、ちょっとした庭になっているのだ。そういえば、徳周寺にも境内に咲く花を紹介したパンフレットがあったのを思い出した。韓国の仏教寺院ではガーデニングに力を入れているのだろうか。

 

 

 中心街に戻って、昼食を取ろうとさっき目星をつけておいた店に入る。ガラス窓に貼られたポスターのサンドイッチがおいしそうだ。

 店に入って、ここはイサク・トーストの支店だということに気がついた。このチェーン店に入るのは初めてである。壁には店名の由来が書かれている。自分が知っているイサクの犠牲の物語とは少し違うように思えたけれども、ホットベーコン・チキンセットが8100ウォンと昼食には手ごろな価格である。ところが注文の段になって、このメニューが店員の兄さんに通じない。ホットの部分は「Has」に相当するハングルだから、発音が違うのだろうか。

 

 

 トーストサンドだけでもお腹は十分にふくれたのだが、続いて並びにあるデザート39にも入る。先ほど通りかかったときにキャロットケーキがあるのを確かめていたのだ。デザート39もチェーン展開している店舗で、このような小都市でも個人経営の店はあまりないのかとも思う。

 ところで、今回の注文も、「キャロットケーキ」を英語風に発音したつもりが店員さんに通じない。野菜のニンジンを韓国語で何と言うのか思い出せなかったので、ショーケースまで行って指さし注文した。

 客席の奥では女子のグループがバースディ・パーティーをしている。さすがにろうそくは、1本しか立てていない。

 さて、お目当てのキャロットケーキである。口に含むと、4層になったチーズクリームの味が勝っている。やはりこれは韓国のキャロットケーキだなと思う。この国にはレインボーケーキなどと言うのもあるし、ケーキを層にするのがお好きらしい。

 

[忠清北道 地味な旅行記 終わり]

<うさ鉄ブログ トップページ に戻る>