中央アジア巡礼行記 2023年

24 アルマトゥイ行 034列車

 

 

 

 タラズ駅前のスーパーマーケットで昼食用のおそうざいを仕入れて、駅に向かう。駅前広場には蒸気機関車が置かれていた。動輪が5軸もあるのは珍しい。

 この広場には、タワー状のモニュメントもある。こちらには、タラズ、タラス、ジャンブル、アウリエ=アタと移り変わってきたこの街の呼び名が掲げられている。

 

 

 例によって、荷物のエックス線検査を受けて駅舎内に入る。2階に上がって見ると、スタローバヤ(軽食堂)が営業していた。吹き抜けの反対側には、リタイヤリング・ルームもある。フロントが見当たらず、料金などはわからないのだが、客室は10室ほどあるようだ。

 吹き抜けを囲む回廊の片隅にはじゅうたんが敷いてある。ムスリムのお祈りスペースなのだろう。

 

 

 

 

 列車の時間が近づいたのでホームに出る。すると、駅舎の並びに売店が並び、焼いた魚や飲み物を売っているではないか。色とりどりのパラソルまで立てられている。到着時に気付かなかったのは、早朝ゆえ開店していなかったのだろう。

 

 

 列車が到着すると、これらの店からは駅弁の立売りよろしく、列車の窓下までお盆で出張販売するのである。

 

 

 さて、ホームにゆっくりと列車が進入してきた。塗色は腰回りが青、窓まわりがグレーでその間にオレンジ色のラインが入っている。これは機関車も客車も共通で、近郊電車のように軽い感じがする塗分けだ。

 

 

 

 しかし、この列車は寝台列車である。しかも、始発のアクトベを1時20分に出て、既にニ晩を走り続けているのだ、だから、車内はもはや長屋の様相を呈している。私に指定された15号車の区画は家族連れが占拠し、廊下との境にシーツまで張り巡らされていた。

 

 

 幸いにこの車両は片廊下式で、通路には折り畳み式の椅子があるから、荷物さえどこかに置かせてもらえば問題はない。だが、老車掌がやってきて別の区画へ案内してくれた。こちらの下段には若い夫婦が座り、中段には青年が横になっている。

 車掌は案内ついでに、ビニール袋にパックされたシーツセットを置いて行った。多分使わないので、もらっても有難迷惑のようなところでもある。

 

 

 

 

 区画に5人目の乗客とあっては居場所がないので通路の折り畳み椅子に座ろうとしたら、もんどりうって床にひっくり返ってしまった。支えのピンが無くなっていたのだ。若夫婦の旦那さんが、山が見えるからここに座れと窓際を開けてくれる。その言葉どおり、駅を出てしばらくすると右手に昨日訪れたテクトゥルマス廟が見え、その後も山なみが逆光を受けて続いた。

 

 

 車内には、物売りも回って来る。子ども用の服を両手いっぱいに抱えて売り歩く人がいる。たしかに幼い子どもを連れて一家で移動している人が多い。「ファンタ、コーラ、ミネラルカ」と呼ばわってワゴンを押してくるのは公式販売員なのだろう。お菓子、ピロシキ、ヨーグルトなども積んでいる。

 人の動きも落ち着いたので、さっき買ったピラフやサラダを取り出して食べる。サモサと思ったのは中味のないただの揚げパンであった。

 

 

 

 

 2時間近く走って、最初の停車駅トルクシブに着いた。以前はルゴボイと言った駅で、ビシュケク方面への分岐点である。運行上の拠点ではあっても小さな駅で、舗装もガタガタのホームにはペットボトル飲料やノンを載せたワゴンが並んでいる。

 トルクシブを出るとアルマトゥイへ向かう線路は北東方向に向かい、進行右手に続いてきた山脈は離れて行った。一方、左の車窓にはずっと大平原が続いている。これほど平らな地面の広がりを見るのは30年前の南米旅行以来のような気がする。

 

 

 午後になり、気温が上がってきた。車内はスチーム暖房が効いていて暑い。皆、窓を開けているのだがそれでもTシャツ1枚でちょうどいいくらいだ。旦那さんは昼食にカップ焼きそばをもりもりと平らげ、そのあとは夫婦して横になって寝てしまった。

 当方はトイレに行く。廊下に列車の時刻表が掲示してあるのに気がついた。ところが子細に見ていくと時刻が少々違っている。ダイヤ改正があっても古いものを更新していないようだ。

 トイレの反対側の端には給湯室がある。だからカップ焼きそばを作れるわけだ。もっとも、この給湯室、現代ではお湯の需要より電源の需要の方がはるかに大きい。何しろ乗客が使えるコンセントがここにしかないので、スマートフォン片手に代わる代わる人がやってくる。しかし、コンセントはひとつしかないので、たいていはすごすごと自席に帰って行くことになる。

 

 

 次の停車駅シューには14時35分に着いた。これまでのところ到着、出発とも定時である。市場と同居したような駅で、駅舎とホームの間には瓜やスイカの類が山積みになっている。

 もちろん、旅行者向けに飲み物やピロシキを売る人もいる。車内は暑くても、外はそれほど暑いわけではないので、乗客たちは上着を着て、買い物やタバコを一服するために降りてゆく。

 

 

 

 

 

 シューを出ると、今度はアスタナへと続く線路を立体交差で左に分ける。その先から列車はもこもことした丘の間を登り始めた。線路は左右にうねり、速度も時速30キロメートル程度に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 地面には短い草が点々と生えているだけの半砂漠状の土地で、人跡はほとんど見られない。

 

 

 

 

 午後も遅くなって、中段で寝ていた青年たちも起き出してきた。若夫婦も交えて話に花が咲く。特にベールを被った小柄な奥さんは頭の回転が速く、男たちの分かりにくいロシア語を、易しい表現に言い変えてくれるので助かる。

 そのうちに何の話からだったか、話題がジャンケンのことになった。カザフスタンにもジャンケンがあって、グー、チョキ、パーはそれぞれ、Kodok、Kaisha、Kagosと言うそうだ。

 こんな汽車の旅は、周遊券で北海道をぐるぐる回った高校生のとき以来だなと思う。

 

 

 

 太陽が西に傾き、最後の停車駅オタルに着く。スーパーマーケットのカートのようなものに商品をのせた物売りがホームにいる。

 終着の1時間くらい前になると、配られたシーツ類は車掌室そばの棚に乗客が返却するのがお作法らしい。終点のアルマトゥイⅠ駅を前に20分も停車したけれども、ほぼ定時の到着であった。

 

 

 

 

 アルマトゥイⅠ駅は空港のように大きく、きらびやかで、雑踏していた。屋根のないホームには、雨が降ったのか水たまりができている。駅舎の中にも外にも軽食を売る売店がたくさんあり、食べる物には困らない。アルマトゥイでの宿泊は、街はずれではあるのだが列車が遅れた場合を考慮してこのⅠ駅の近くに予約しておいた。売店でピロシキなどを仕入れてホテルに向かった

 

 

<25 アルマトゥイ(1) に続く >

<うさ鉄ブログ トップページ に戻る>