中央アジア巡礼行記 2023年

14 ペンジケント(2)

 

 

 ペンジケントの市場はいかにもシルクロードといった雰囲気の楽しい市場であった。しかし、ここまで来たからには、古代都市の遺跡にも行かねばなるまい。

 ルダーキー通りを挟んで市場の向かいには中央モスクが建っている。さして大きくもなく、中庭の様子もごく庶民的な感じがする。

 その脇から住宅街を貫く道に入り南下してゆく。乾ききってほこりっぽく、暑いだけの通りであって、あまり歩きたいような道ではない。

 遊んでいる子どもたちが、外国人と見れば「ハロー」と声を上げる。「マネー」などと言わないだけ、ましではある。

 

 

 中間の十字路には小さなモスクがあった。このモスクにはミナレットもなければ中庭もないけれども、通りに面したテラスの柱はやはり木柱である。

 

 

 市場から1キロメートルあまり歩くと市街地が尽きた。丘の縁を廻って用水路が流れ、日干し煉瓦の工場があった。工場といっても、四角く切った泥を干しているだけではある。

 

 

 

 通りはそのまま涸れ川に沿って坂を登ってゆく。干上がった川床にはビニール袋やペットボトルなどのゴミが散乱していて、お世辞にも美しいとは言い難い。

 

 

 

 左手の斜面にコンクリートの階段が見えたので、川床を横切ってその階段を登る。登り切ると、丘の上に広がる都市遺跡が広がっていた。ごく一部には復元の手も入っているのか建物の壁らしきものも見える。しかし、大部分は波打つ砂の荒野であって、アフラシャブ丘と同様に何が何だか分からない。建築といっても材料は先ほど見たような日干し煉瓦だったはずだから、放棄されてしまえばただの土に還ってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 丘の縁まで行くと平地に広がる現代のペンジケントを望むことができる。高い建物はほとんどなく、中庭を囲んだ平屋の住宅群の屋根は灰色のトタン板である。遠景には中央モスクのミナレットと市場の丸屋根、その隣にはさっき食事をしたチョイホナのアブー・バクルが見えている。さらにその背後にはザラフシャン川が流れ、ウズベキスタンとの国境をなす山脈が横たわっている。

 

 

 時計回りに丘を歩いてゆくと、遺跡エリアの東北端に門のように見える土の壁があった。説明版ひとつないけれども、ここは東門の跡だということだ。

 

 

 遺跡の南側に降りると、ささやかな博物館があった。一応入場料があって、本来は30ソモニらしい。ウズベキスタンのお札を出したらソモニが少ないと見たのか、20ソモニにまけてくれた。これで手持ちのタジキスタン通貨は、10ソモニとなった。

 

 

 

 

 

 博物館の展示を見て、市街地から続く道の反対側の丘が往時のシタデルと宮殿なのだとわかったので、今度はそちらの丘を登る。城壁の名残らしき砂の土手があり、こちらの区画の方がまだ往時を偲びやすい。とはいえ、宮殿だとしたら平地もほとんど無く、随分と狭苦しいところだったに違いない。博物館にあった復元図には両方の丘を結ぶ堤道が描かれていたが、そんなものが実在したのだろうか。

 

 

 

 ところでこの遺跡、有名なわりに訪問者はごく少ない。観光客よりも駆け回っている地元の子どもたちの方が多いくらいだ。モトクロスばりに自転車を乗り入れている男の子さえ見かけた。

 

 

 強い日差しの下を歩き回ったのでのどが渇いた。市場に戻ってピーチ味のペットボトル緑茶を買う。3ソモニ。小腹が空いてもいるので、揚げパンも買う。ひとつ1ソモニ(13円)と格安なので2つ買っておく。ただし、中味は値段相応で肉とジャガイモがわずかに入っているだけである。

 さいごにトイレに行く。2ソモニ。これまでずっとお札しか使っていなかったのだが、ここで初めて硬貨がお釣りに返ってきた。しかも3ソモニ玉である。旧ソ連では3が単位のコインがよく使われていたと聞いたことがある。このコインは使わずに記念にとっておこう。

 

 国境行きのマルシルートカは、市場前の路上がターミナルとなっている。歩道を歩いて行くと、朝方、国境で呼び込みをしていた兄さんがこちらを見つけて手を挙げた。彼の車に乗って帰途につく。やんちゃそうな兄さんではあるが、慎重かつ安全な運転に徹しているのは往路と同じだ。よほど取り締まりが厳しいのであろう。

 再びサラズムの国境へ。列に並んでいたタジク人の爺様が「わしには、日本人の友達がひとりいる。名前は、ブルース・リーだ」と言う。この手の会話をするのも随分と久しぶりだなと思う。それにしても、どうしてブルース・リーは日本人だと思われているのだろう。

 国境のウズベキスタン側には、イミグレーションの建物内に両替の窓口が開いていた。ウズベキスタンではどこで両替してもレートが同じなので、不足しそうなスムを補充しておく。

 サマルカンドへのマルシルートカには、朝方にもこの国境で会ったドイツからの青年二人が既に乗っていた。彼らは約50分の道中のあいだ、スリル満点の運転に大喜びしっぱなしだった。

 

<15 タシケント(4) へ続く>

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