中央アジア巡礼行記 2023年

8 サマルカンド(3) 

 

 

 シャーヒ・ズィンダ廟群からハズラティ・ヒズル・モスクの下へ戻ってきた。途中、ビビ・ハニム廟の正面に西日が当たっているのが見えた。この廟、正面から見上げると瀟洒な建築に見えるのだが、真横から見ると妙に首長である。

 

 

 

 

 日暮れまで少し時間があるので、ハズラティ・ヒズル・モスクの横からアフラシャブ丘に登ってみる。丘の上は墓地になっていて、土饅頭の向こうにシャーヒ・ズィンダ廟群やビビ・ハニム・モスクの屋根が覗いている。

 

 

 

 墓地の中を行くとレンガ積みの小さな廟があった。シャイフ・ヌーリッディン・バシル廟である。黒いじゅうたんが敷き詰められた廟内には管理人のような男が一人詰めていて、訪問者と一緒にお祈りをささげたり、由来の解説をしたりしていた。

 

 

 更に進むと数百メートルで墓地は尽き、その先にアフラシャブ丘が広がっていた。モンゴル襲来以前のサマルカンドだった都市の遺跡ではあるものの、それらしい遺構は全く目につかない。ただの砂山と砂の谷が勝手気ままに存在しているだけのようなところである。

 

 

 ただ、左前方にひときわ高く盛り上がった場所がある。恐らくはここが内城あるいは城砦だったのだろう。

都市全体が丘の上にあったのなら防御には好都合だったはずだが、籠城戦になったら水の確保に苦労しそうだ。

 

 

 こんな遺跡だから見てもあまり面白くはない。だから訪れる人も少ない。現に、自分自身の他にはひと組の親子連れがやって来ただけである。風も冷たくなってきたので、早々に引き返し、ハズラティ・ヒズル・モスク下の休憩所に座って夕暮れを待

つ。

 

 

 

 しばらく休憩するうちに日が暮れてきた。ビビ・ハニム・モスクの背後に太陽が沈む。しかし、空気が乾燥しているせいか、あまり夕焼けが広がらない。

 一応、ライトアップがされてもいるのだが、躯体が大きすぎるせいか、うすぼんやりと照らされているに過ぎず、いまひとつ冴えない。

 

 

 

 一方、背後のハズラティ・ヒズル・モスクはきれいに投光されていて見応えがある。ただしこれも正面の右半分だけであるし、日没後は入場できないので、下から見上げるしかない。

 

 

 

 坂を下りてビビ・ハニム・モスクの前に立って見上げる。大きなイーワーンがうすぼんやりと照らされている印象は変わらない。

 ふと横を見るとシヤブ・バザールはまだ営業している。閉店して布を掛けている台も多いけれども、この時間まで開いている市場は珍しい。

 

 

 イスラム・カリモフ通りを歩いてレギスタン広場へ行く。

 

 

 

 おお、これは見事なライトアップだ!!

 広場を望む展望台の下に立って、どれほどの時間眺めていただろうか。

 

 

 

 今夜は到着したときに、既に空が真っ暗だった。明日はトワイライトタイムに来ようと決めた。

 

 

 

 さて、夕飯の時刻である。お昼にはラグマンを食べたから、夜にはオシ(プロフ)が食べたい。大通りを渡ってレギスタン広場の反対側へ行くとレストランが並んでいる。場所柄、観光地値段のような気もするが、地元民らしきお客がほとんどのようにも見える。ところが、どの店で聞いてもオシはもう売り切れなのだという。オシを食べたければ昼間に来いということらしい。

 

 

 今宵は長いこと夜景を見ていたので、何だか体が冷えた気がする。体を芯から温めるにはうどんが最適だ。というわけで昼に続いてラグマンを食することにした。レギスタン通りのレストラン群はどれも歩道にテラス席がある、というよりテラス席の中を歩道が貫いているような造りになっている。その中でもひときわ照明がまぶしい店のテーブルにつく。

 流れる曲はベリョーズィ(白樺)のインストゥルメンタル。

 心に再び情熱が・・・という歌詞が思い起こされて、気分が盛り上がる。

 しかし、肝心の料理の方は、味、量、値段の全てにおいて、昼に食べた市場の食堂よりも劣っていた。もう、この店には二度と来ないだろう。

 

<9 サマルカンド(4) へ続く>

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