中央アジア巡礼行記 2023年

5 アフラシャブ号サマルカンド行 

 

 

 ホテルそばのバス停から12番バスに乗り、タシケント北駅にやって来た。今日はウズベキスタン国鉄が誇る特急アフラシャブ号に乗ってサマルカンドへ行ける日である。

 

 

 この列車の乗車券はインターネットで予約・購入してある。数年前にはウズベキスタン国鉄のネット予約は中々に困難だったらしいが、いまは改善されている。逆に、以前は問題無かったカザフスタン鉄道の予約が、カザフスタンの電話番号か納税者番号を持っていないと不可能になってしまっている。

 

 

 ホテルで食べる時間がなかったので、駅前の通りに面した簡易な店でソムサをほお張る。要するに肉包みパイだから、熱々ならたいてい旨い。紅茶もつけて、たったの15000スム(150円)と格安の朝食であった。

 

 

 幹線道路の向こうには、イスラムと西洋の意匠がミックスした堂々たる駅舎が構えを見せている。両翼にはマヤのピラミッドかユーゲント・シュティールを思わせるような部分さえある。

地下道を伝って人の流れに沿って地上に出ると、小さな検問所がある。そこで荷物のエックス線検査を受けてから、おもむろに駅前広場に入るというスタイルだ。もちろん、切符を持たない客は入れないから、駅構内は秩序だっており、安全でもある。要するに空港と同じような感覚なわけで、続々と駅を目指して集まって来る乗客たちも一様に晴れやかな顔をしている。

 

 

 駅舎内に入ると、通路の両側にサラダや惣菜パンを並べた売店があり、カフェも営業していた。少々値段は高くても、こちらの方が先ほどのソムサよりも上等そうで、こちらにすればよかったかなと思う。

 

 

 ほどなく放送があって、ホームへのドアが開く。駅舎前の「1番ホーム」に出るが、まだ列車は入線していない。しばらく待つと、サマルカンド方からゆっくりとアフラシャブ号が入線してきた。

 列車を背景に乗客たちが思い思いに記念写真を撮り合っている。鉄道駅構内は撮影禁止と聞いていたのだが、スナップ写真程度は大目に見てくれるのだろう。この人たちは写真を撮っているからと言って、特に鉄道ファンでもなければ外国人とも見えない。この列車でサマルカンドへ行くことが、或いはアフラシャブ号に乗ること自体が楽しくてしょうがないという顔つきをしている。こんな笑顔を今の日本の駅で見ることがあるだろうか。

 

 各車両のドア前には車掌が立って切符を改めている。胸にアフラシャブと縫い取りのある制服を着ているし、採用基準に容姿も入っているのかと思わせる様な美男美女ぞろいである。その車掌に印刷したEチケットを見せて車内に入る。見ているとスマートフォンの画面を提示している人と、昔ながらの乗車券を見せている人とが半々くらいであった。

 車内に入ると伝統音楽が流れ、リクライニングこそしないもののゆったりした座席が10列配置されている。横は4列で広軌のわりに広い感じは受けない。

 車内のフリーWIFIもあるのだが、ショートメッセージに送られたコードを入力して認証する方式である。ショートメッセージが受け取れるなら、わざわざフリーWIFIを使わなくてもいいはずで、意味のないシステムだ。

 

 定刻8時ちょうど、アフラシャブ号は静かに発車した。はじめは操車場のようなところをゆっくりと走る。しかし、南駅を通過し郊外に出るとたちまち加速し始めた。サマルカンドまでの344キロメートルを2時間8分で走破するのだから、貨物列車などと兼用の路線であることを考えるとかなりの速度ではある。

 早いのは確かに有難いのではあるが、この列車はタルゴである。だから車体の長さは一般的な客車の半分しかないし、一軸の車輪が車体間にあるという特異な構造をしてもいる。そして、走る線路は路盤の強化こそされたものの、ロングレール化はされていないから継ぎ目がある。その結果、タンタンタンタン・・・と気ぜわしいリズムが車内に響き渡る。しかも、保守が行き届かないのかときおりダグダグダグダグダグダグと突き上げるように揺れる区間さえあるのだ。要するに、乗り心地は非常に悪いのである。

 

 

 そうした揺れをものともせず、二人組の車掌がカートを押してやって来た。カートのスタイルは飛行機の機内食と同じで、上着を脱いでサービスするのも共通だ。ただし「車内食」の方はお菓子やインスタントコーヒーの入った紙袋に過ぎず、40センチメートル四方はありそうな大きなテーブルにちょこんと置かれる。頼んだ緑茶も出がらしの紅茶レベルの代物であった。

 ときおり食堂車のウエイターが料理の載った皿を持って行き来しているから、まともな食事をしたければ彼を呼び止めれば良いのだろう。それは煩わしいのでやめにしておく。そもそも、それほどの乗車時間でもない。

 

 8時32分、比較的大きな川を渡る。シルダリヤ川に違いない。川を渡ると何も見えない程の深い霧に包まれた。しかし、スピードを落とす気配はない。

 通路の天井にはテレビがあって、発車直後には車内設備の案内などを流していたのが、お笑い番組に替わっている。

 

 8時58分、グリスタンを通過。街の入口の街道脇にあったデカ文字でわかった。これまでは通過駅があっても列車が早すぎて、駅名を読み取ることができなかったのだった。街はずれの街道を小型のボンネットバスがヨタヨタと走っているのが見えた。

 

 グリスタンの先で列車は進路を南から西に変えた。タシケントを出たあたりではポプラの多い近郊農業地帯のようだった風景もだいぶ乾燥してきた。牧草地に放たれている牛もホルスタインから黒牛に替わっている。

 進路が変わると新線区間に入ったからか列車の揺れもなくなった。かつては、先ほど渡ったシルダリヤ川の先から南西へ伸びる路線があったのだが、カザフスタン領を横断してしまうため、迂回になっても自国内で完結する線路を新たに敷いたのだ。

 

 

 線路の右手がまっ平らな大平原になった。単なる荒れ地のようにも見えるけれども、農道がついているから、それも牧草地なのかもしれない。そんな中にも踏切があって制服を着た男の職員が詰めている。途上国では踏切番は普段着のおばさんという国が多いから珍しいことではある。

 列車の速度が速度なだけに相当前から遮断機を降ろしているのだろう。人家ひとつ見えないような場所であっても踏切待ちの車列は長く伸びている。

 

 

 

 9時30分、右手から旧本線が合流し、ジザフを通過した。街の背後には樹木ひとつない灰色の山が迫っていて、その頂上には吊橋の橋脚のようなモニュメントが建っている。

 アフラシャブ号はその砂山の間に走り込んだ。線路は屈曲し、土の崖が間際に迫る。スピードもかなり落ちた。左手の車窓を見ると、山の稜線に巨大な切り抜き文字の広告が林立している。

 山間の隘路はわずか数分で通過し、列車は再び速度を上げた。G’allaorolという駅を通過する。この後、列車はサマルカンドが面するザラフシャン川に向けて下ってゆく。地図を見ると、このあたりの線路は三筋にも分かれてうねうねと走っている。勾配克服用の線路なのだろう。その線路が右に離れてゆく。重量級の貨物列車が通るからだろう、立派な複線電化の路線である。

 

 さて、そのザラフシャン川を渡り、いよいよサマルカンド市街地のはずれに差し掛かった。消灯していた天井灯が点き、右手をアフラマズダのような意匠の空港ターミナルビルが過ぎてゆく。鉄道駅は旧市街の西北西に4キロメートルも離れた場所にあるのだ。車窓からでは住宅の塀に遮られて、古都の様子は伺うべくもない。

 

 

 

 そして、定刻に3分遅れての10時11分、アフラシャブ号はサマルカンド駅に到着した。ホームは1面だけで屋根はなく、列車を下りたお客たちは列車の後尾へと歩いてゆく。降車客は駅舎に入らず、その脇から直接に駅前広場へと導かれるのだ。

 日本の国鉄でも以前はそうだった。駅員のいるような駅なら、かなりのローカル駅でも待合室に面した改札口とは別に、駅舎から張り出した庇の下に出口専用のラッチが設けられていたものだ。

 

 

 駅を出ると、出迎えの自家用車などがごちゃごちゃと停車していて、向こうの方に架線が見えた。そこへ行くと、道路の真ん中にトラムが一編成、停車している。安全地帯も停留所の表示もないから、ちょっと見には路上でエンコしてしまったかのようだ。

 サマルカンドの路面電車は全部で2路線しかない。駅から真っすぐ南へ行く1系統、そして駅から東へ進み、旧市街に接したシヤブ・バザール下までの2系統である。もちろん、乗車するのは2系統の方だ。

 歩道上の詰所のようなところで電車を待つ。1系統が3本立て続けに来て、その後に2系統がようやくやって来た。運行間隔は10分おきのはずなのに、20分以上も待たされたことになる。

 2系統の電車は駅前を発車するとすぐに左折し、後は終点までルダーキー通りを行く。沿道はずっと幹線道路沿いの新市街といった街並みで、まだ古都らしさは感じられない。乗客の服装を見るに、男性はムスリム帽をかぶった人が多い。対して女性のアバヤ姿はタシケントよりもむしろ少ないくらいだ。

 

 

 車内を車掌が回って運賃2000スムを徴収する。車内にはICカードの機械も、チケットのキャンセラーも見当たらない。

 電車は坂道を降りて登ってを繰り返す。車掌は料金は集めても、停留所名を喚呼したりはしないし、路線図も見当たらないから途中で降りたければ自分で見当をつけるしかない。

 電車は最後に川を渡り、上り坂の途中に位置するターミナルのループに入った。この終点のはす向かいはシヤブ・バザールなのだが、交通の激しい道なのに、そちらに渡る術がない。

 一方、ルダーキー通りの前方、300メートル程の坂道を上がった先にはハズラティ・ヒズル・モスク前の陸橋が見えている。他に行ける道がないので、その坂を上がってゆく。

 

 

 

 

 

 

 ハズラティ・ヒズル・モスクはアフラシャブ丘の南斜面に位置していて、ビビ・ハニム廟と同名のモスクを望むテラスがある。だから、いつでも観光客でいっぱいの印象だ。それはともかく、この眺めはすばらしい。足元の陸橋はレギスタン広場へ向かうイスラム・カリモフ通りに続いている。

 

 

 

 

 

 

 ビビ・ハニム・モスクの手前に見えている平屋根はシヤブ・バザールのものだし、視線を左に転じればシャーヒ・ズィンダ廟群の円屋根も木立の間から覗いている。モスク周辺には大きくてきれいなトイレや、ベンチを備えた東屋もあって休憩するにもちょうど良い。

 サマルカンドに着いたら、まずはわかりやすいトラムに乗って終点まで。そして坂道など厭わずに登り、このテラスに立って、街の骨格を理解するのがお薦めだ。

 

 

 

<6 サマルカンド(1) へ続く>

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