オリエント∞(無限大)周遊記 1987年

14 ペロポネソス半島一周鉄道(2)

 

 今日はペロポネソス半島の南海岸にあるカラマタという街に泊まろうと思う。カラマタはこの半島ではパトラ、コリントスに次ぐほどの規模の街である。列車を降り、思いのほか小さな駅舎を通り抜ける。駅前の通りを進むと細長い公園に出た。この公園の右側が旧市街であり、左側には新市街が広がっているらしい。ところが、明るい日差しのもとに真っすぐ続く公園にはほとんど人影がない。公園だけではない。交差する通りに入っても、道行く人は全くと言っていいほど見かけない。車すら通らない。ひとことで言えば死の街である。

 そのうちに、どの建物の扉にも赤ペンキで大きなバツ印がつけられているのに気がついた。つまり、これらの建物は何らかの理由で使用禁止になっているわけで、人通りがないのも当然だ。

 旧市街には由緒ありげな教会がいくつもあるのだが、それらも足場が組まれていたり、針金でぐるぐる巻きにされたりして、何とか崩壊をくい留めているようなのだ。       

 1時間以上も歩き回った末に、街はずれに1軒だけ営業しているホテルを見つけた。当然ながらこのホテルはロビーまで泊り客があふれていて、難民キャンプさながらの状態であった。フロントマンは、2キロメートル先に別なホテルが営業していると教えてくれたが、そこまで歩いて行ったところで泊まれる保証はない。今夜はどこかの駅で夜を明かすことにして、時刻表を首っ引きで調べる。

 翌朝の列車の時間も勘案して、半島の西海岸に面したキパリッシアという駅まで行く事にした。

 

 

 キパリッシアに着いた。駅舎には灯りがついていたけれども、窓口には5時50分から20時00分と貼紙があって、営業は既に終わっていた。ホーム待合室で仮眠する。夜中に犬が3匹とネコが1匹、そして人間が1人ホームを横切った。

 

 明け方、駅舎を通り抜けると、軒下に寝袋にくるまった旅行者がひとり、眠っていた。駅前には4軒もホテルがあって、こちらに泊まればよかったかなと思うものの、昨晩は暗くて気付かなかったくらいだから、ここも営業していないのかもしれぬ。

 それでも近くに朝から開いている食堂があった。トーストにはちみつとバターを混ぜて塗る。これが大変においしい。

 

 キパリッシアから朝の列車でピルゴスまで行く。普通の運賃のほかに70ドラクマの追加料金を取られたが、特別な車両でもない。定時に1分早発で、見送りの人があわてて飛び降りた。

 列車はオリーブ園や松の生えた砂丘の向こうに海を見ながら走る。松葉は日本の松よりも明るい緑色をしている。

 

 

 

 ピルゴス駅はアーチ窓を連ねた平屋の駅であった。このあたりの駅はどこも駅前広場がなく、通りに直接面して駅舎がある。駅舎のわりに近代的な街並みを歩いてゆくと高台になった広場があった。コバルトブルーの空に真っ白に塗られた教会が映える。中に入ると身廊の天井も空色に塗られていた。

 

 

 

 

 

 ピルゴスからは海側と山側のそれぞれに短い支線が伸びている。こんな盲腸線はいつ廃止になってもおかしくないから、できるだけ乗っておきたい。まず山側の路線に乗る。終点は古代オリンピック会場の遺跡があるオリンピアである。

 凸型のディーゼル機関車が牽く列車に乗り、終点で降りるとホテルの客引きがわんさと寄って来た。車内には観光客などほとんど乗っていなかったので格好の標的になってしまった。

 別にオリンピックなどに興味はないのだが、駅から遺跡はごく近いので行ってみる。崩れた建物の柱が歯車状になってごろごろしているのが印象に残った。

 駅前の店で昼食をとったら、ピザ1枚とオレンジジュースで1040ドラクマも取られた。ギリシャにしたら法外な値段である。

 

 オリンピア13時40分発の列車は、海側の終点カタコロまで直通であった。有名観光地のオリンピアに支線があるのはともかく、カタコロなどという小さな村になぜ鉄道が引かれたのだろう。夏期には5往復ある列車もオフシーズンになると、乗ろうとしている1日1往復しかないという閑散路線なのである。

 窓口で切符を買う。カタコロまで75ドラクマと印刷してあるのを105ドラクマに訂正してある。最近、大幅に値上げしたらしい。

 

 列車はもと来た道をトロトロと走り、それでもピルゴスに6分も早着した。発車は2分早く、ギリシャ人はのんびりしているのか、せっかちなのか分からなくなってきた。

 ピルゴスを出ると三角線で本線と別れて、町はずれの踏切で2回停まった。おばちゃんが降りて、踏切番の詰所に入って行った。

 

 

 カタコロまでの間に何度か停車して、その度にわずかながら乗降客がある。駅といっても待合室があればいい方で、何の目印もない所から青緑色のドレスを着たギリシャ彫刻のような美女が乗ってきたりもする。

 沿線にはトマト畑が多い。ミニトマトも普通の大きさのもあって、スプリンクラーで撒いた水が車内に飛び込んできたりもする。七面鳥が走り回る地面には、小さな祠があちこちに作られている。

 

 

 

 

 やがて左手に木々の間から海が見え始めた。メロンが成っているのも見える。前方に低い丘が迫ってくると終点、カタコロであった。降りたのはヨーロッパ人の二人連れだけである。

 終着駅とはいっても駅舎も何もない海ぎわの広場のようなところで、岸壁に立つと足元で小魚が跳ねる。

 駅の先は海岸にそってカフェテリアのテーブルが並び、その向こうにはオリエント・エクスプレスと大書きされたクルーズ船が停泊していた。なるほど、船でこの港にやって来て列車でオリンピア観光をするコースがあるのかと思う、しかし、1日5往復では時間の制約が大きい。やはりバスを仕立てることになるのだろう。オリンピア遺跡の駐車場は観光バスでいっぱいだった。

 

 帰りの列車も4分早発だった。車内には大きなリュックサックのグループがいて、この人たちは往きの列車にも乗っていた。発車して100メートル程のところで停まったと思ったら、鍋釜の類を抱えた子どもが乗ってきた。まさか事実上のフリー乗降なのだろうか。

 車掌が回って来て行先を尋ねるから「ピルゴス」と答える。しかし、切符を切るわけでもなく、結局、復路はタダ乗りになってしまった。

 

<15 アテネ へ続く>

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