オリエント∞(無限大)周遊記 1987年
10 カッパドキア
カイセリのオトガル(バス・ターミナル)からユルギュップ乗り換えでカッパドキアの中心ネヴシュヒールへ。このバスはギョレメやウチヒサールを経由するけれども、今は先を急ぐ。
ネヴシュヒールからはドルムシュに乗り換えてカイマクルまで行く。目的はもちろん地下都市である。高校生の頃読んだ本には、8層まで掘られたこの地下都市には何万人もの人々が生活し、他の地下都市とトンネルで連絡していたと書かれていた。以来、一度見て見たいと思っていた遺跡なのだ。
カッパドキアというと荒涼たる岩だらけの土地を想像する。しかし、カイマクルの周辺には畑が広がりトラクターが走り回っている。もっとも、耕地にはスプリンクラーで水を撒いているから、乾燥した土地であることは間違いない。
背後の岩山には城砦が見え、その下には洞窟を利用した住居がへばりついている。見たところ、これらの住居には、もはや人は住んでいないようだ。
地下都市の入口はドルムシュ・ターミナルから200メートル程のところにあった。入口を塞ぐための巨大な円盤は3つもある。進んで行くと通路はうねり、複雑に分岐している。
観光用の通路にはもちろん照明がついているのだが、分岐の先は真っ暗だ。特に柵などもないから入り込もうと思えば入れる。だが、懐中電灯の用意もないし、足元に竪穴が待ち構えていないとも限らない。カッパドキアの土に還るのはいやなので自重する。
通路のあちこちにベッドのような長方形の窪みや、台所の窯や流しと思われる造作などがある。通路が広がった所は商売に使っていたのかもしれない。しかし、何万人もの人が住めるほどの広さとは思えない。そもそも、食料は運び入れしかないのだから、地下に隠れたところで隠れおおせるものだろうか。井戸はあっても水は足りたのか、排泄物はどうしたのかなど疑問は尽きない。
奥の方には人口調節に使ったという深い竪穴もあって寒気を覚えるが、穴に突き落としたままでは屍臭でとんでもないことになるのではないだろうか。
前述の本には漏斗状に層を成した想像図が描かれていた。しかしながら、地下都市というのは中に入ってしまうと何だかよく分からないものなのだった。
地下都市の中心には井戸と通気口を兼ねたシャフトがあって顔を出すことができる。上を見ても下を見ても、緑色の石の壁以外には何も見えない。壁に石鹸置きのような窪みは見えるけれども、人間がここをよじ登るのは無理だ。
地下都市の見学を終えたあと、村の通りを歩いてみる。子どもたちが「フォト!フォト!」と寄って来る。カメラを構えるときちんと整列し、ポーズをとる。それでいてお金を要求したりはしない。地下都市には観光客があふれていても、暑くてほこりっぽい村の通りを歩く外国人は少ないのだろう。
ドルムシュ・ターミナルに戻ると土地の爺様たちがだべっていて、ホット・オレンジジュースをおごってくれる。これは紅茶と同じ小さなガラスコップで飲む。
バスの本数が少ないので、タクシーを雇ってウチヒサールへ行く。村の中心に外国の絵本に出てくるチーズみたいに穴だらけになった岩山があって、登ることができる。遠くにひときわ目立つ雪の残る富士山型の山はエルジェス山だろう。
続いてギョレメへ。ここは洞窟教会が有名で、野外博物館となっている。ヨーロッパ人の団体が多く、男は上半身はだかになってぞろぞろ歩いている。
だが、そんなことはどうでもよい。肝心の壁画はどれも貴重なものなのに、手が届く部分は随分とひっかき傷をつけられてしまっている。それらの傷はごく新しいもののように思える。そうでなくても崩れ落ちて、元は洞窟内だった天井や壁がむき出しになってしまっているところも多いのだ。
変わったところでは裸の女のもがある。琵琶の柄を長くしたような楽器で前を隠して、聖人たちと並んで描かれている。
レストランや土産物屋は地下につくられていて、郵便局まであった。こちらは現代の地下都市である。
タクシーの運転手には博物館の前で待ってもらって、村の中を一周する。石畳には馬糞がたくさん落ちていて踏むとふかふかする。坂の下の方で音楽が聞こえるので下って行ったら、ラッパと太鼓の楽団を30人ほどの村人たちが囲んでいた。
ネヴシュヒールに戻り、ドルムシュ・ターミナルそばのホテルに投宿する。1泊1600リラ(270円)と格安の宿だ。安くても部屋や寝具は清潔で申し分ない。
ドルムシュ・ターミナルに隣接してハンマームがあったので行ってみる。玄関先にいた子どもが「今はバヤン(女性)の時間だ」と言う。男性の時間は18時30分からだそうだ。
先に夕食をとることにして、近くのロカンタ(食堂)に入る。ケバブサンドをにレモンを絞りかけ、塩を振って食べるとことのほかおいしい。サラダもついてたったの850リラ(140円)ではなんだか申し訳ない気になる。
ハンマームの隣にはジャミイがあって、浴場ともども1727年に建立されたとある。きれいに整えられたモスクである。
このあたりは商店街で錠前屋や銅製品屋が並んでいる。絨毯屋もあるけれども、いずれも地元民相手の商売だ。
時間になったので、ハンマームに出直す。
玄関を入ると真ん中に泉のある八角形の部屋で、服を脱ぐと兄さんが腰にバスタオルを巻いてくれる。脱いだ服はどこかへ持っていってしまう。
そこからドアを二つ通ると蒸気のこもった浴室がある。この部屋も八角形で、天井にポツポツと穴が開いているのは各地のイスラム宮殿で見た浴室と同じだ。四隅には一段高くなった洗い場があり、石の水盤にお湯と水が出ている。湯はぬるく、ちょろちょろとしか流れていない。しかも水でぬるくして使うのだそうだ。ここでは、フィルムケースのようなプラスチックの容器に入ったシャンプーを渡され、頭を洗う。
次に、手前にあった冷気室へ戻り垢すりの洗礼を受ける。ミトンを手にはめた、いかついおっさんがゴシゴシやるので、垢はたくさん取れるかわりに色気はない。
垢すりの後はもう一度浴室に戻り、体を洗い流す。
最初の八角形ホールに戻ると腰のバスタオルを取り換えてくれ、頭にタオルをターバン風に巻き、肩にもバスタオルをかけてくれる。あとは、ごゆっくりおくつろぎくださいという次第で、ここまでの料金が1600リラと昨晩の宿泊代と同じであった。
玄関を出るときには香水を振りかけてくれる。これは入浴料とは別に100リラ取られた。