東南アジア縦断記 1986年

1 バンコク

 

 

 西ヨーロッパではユーレイルパスを使って列車のみならず、路線バス、連絡船も使って国境越えの旅行を堪能した。しかし、世界的に見れば国際列車が走っている場所はそう多くはない。かつては走っていても路線や列車が廃止されたり、政治的な状況が悪化したりで国境で運行が分断されてしまったところも多い。そんな中でタイからマレーシアを経由してシンガポールまで列車で途切れることなく行くことができる。これは魅力だ。

 

 そういうわけで、成田空港12時50分発のバンコク行きに乗り込んだ。旅行者に勤める知人から安いチケットを回してもらったので、会社は日本航空である。しかも座席がビジネスクラス用になったので広々している。もっともエコノミークラス席もガラガラで、DC-10独特の中央5人席に長々と寝そべっている人もいる。

 バンコク時間の12時ちょうどに機内食が来る。食事はエコノミークラスなので、あまりおいしくない。アエロフロートの方が良かったなと思う。

 正味の飛行時間は5時間40分だそうで、食事が片付けられてもまだ日本の上空を飛んでいるくらいだから、東南アジアは意外と近い。

 

 

 つまらない映画を強制的に見せられ(その間は寝ていたが)、寒さで目を覚ますとちょうどベトナム上空に差し掛かるところだった。耕地も砂浜も川の水も、何もかもが赤茶けているのが上空からでも見て取れる。やがて、薄緑色の平野が広がり、定刻にドンムアン空港着。タラップを降りたらちょうど夕立が来てずぶぬれになってしまう。何も夕方に到着するダイヤを組まなくてもいいのにと思う。

 

 ドンムアン空港はそれなりに近代的な空港ではあるが、案内の類はお粗末で、市内へ行くリムジンバスの乗り場がわからない。白タクの客引きはつきまとうし、空港の職員はエリート意識丸出しで不親切とくる。お客を乗せて、出発ロビーに横付けしたタクシーがあったので、入れ替わりに乗り込んでしまう。

 乗ってしまえば道路は快適で、時速100キロメートルで飛ばしてゆく。小型オート三輪のサムロも同じ速度で突っ走っている。

 

 快適に市内中心部まで来ることができたのに、バンコクの中央駅であるファランポーン駅の近くまで来たところでクラッチが故障してしまった。仕方がないのでそこで降ろしてもらう。中央駅の近くなら泊まれるところが沢山あるだろうと見当をつけて、臭いどぶ川に沿って歩き出す。しかし、歩いた通りが悪いのか、屋台はたくさんあってもホテルはなかなか見つからない。中民新報社の社屋の壁には壁新聞があって、蛍光灯に照らされた紙面にヤモリが這っている。

 ようやく郵便局の反対側にまともそうなホテルが現れたので飛び込む。ツインルームが450バーツ(4000円)とあまり安くはない。ボーイは年端もいかぬ少年で、制服を着た姿は学芸会にでも出るかのようだ。その少年が部屋まで来て、「マッサー、マッサー」と言う。「マッサー」の中味がいかなるものかはわからぬが、とにかく蒸し暑いのでビールが飲みたくなった。ビールを頼むと「シングハ、シングハ」と叫びながらびんビールを持ってきた。

 シングハは甘ったるく、南国のねっとりした空気にふさわしい味がした。

 

             *    *    *

 

 6時にモーニングコールを頼んだのに、起こしに来たのは5時40分だった。送れるよりはましだと思うことにする。ただし、表はまだ真っ暗だ。

 サムロに乗ってワットアルンに行く。寺なら朝から開いているだろうと思って早起きして来たのに、開門は8時30分からだとある。周囲に建ち並ぶ僧房や学校などを覗いて時間をつぶす。裏手の方に行くと色あせた仏塔の間にゴミが放置されて異臭を放っている。

 

 

 

 

 8時をまわると民族衣装を着たおばさんが二人出勤してきて、定刻5分前に門が開いた。一番大きな仏塔には3段の廻廊があり、上に行くほど階段が急になるので、貼られたロープにしがみついて登る。

 

 

 塔の上からは活気にあふれたチャオプラヤ川の眺めが広がった。ホテイアオイの化け物みたいな水草が流れるなかを柳葉のように細長い急行船が疾駆していく。この船は早くてうるさくて、長い舵を後ろに曳いているので水しぶきもすごい。

 対岸には王宮やワット・ポーも見える。今度はあちらへ行ってみよう。

 

 

 

 

 川を横断するフェリーは、わずか50サタン(5円)という安さだった。対岸の別な桟橋には観光船が着き、団体客が続々と降りてきた。それらの人々に混じって、色つき鏡のモザイクで飾られたハヌマン像や仏塔の間を歩く。高い所では鐸が涼し気な音色を奏でていた。

 

 

 

 

<2 メクロン線 へ続く>

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