ユーゴスラビア東半分+アルバニアの巻 1996年

7 古都オフリド 

 
 

 

 オフリドの旧市街は歩き回るに値するところであった。オスマントルコの面影を残す家が並ぶ石畳の坂道を彷徨い歩く。こうした街によくあることだが、違う道を通ったはずなのになぜかいつも同じところに出てしまう。この街では、ピンク色に塗られた2階建ての家がある分かれ道がそうだった。

 湖岸の高みに上がる。サムイルの名を冠した砦があり、周囲には草に埋もれた野外劇場跡や教会の遺跡が点在している。

 

 

 この原っぱは近所の小学生たちのかっこうの遊び場だ。「ロンドン橋」や「せっせっせ」のような遊びが今も見られる。

 

 

 

 

 

 湖に突き出した丘の末端には、聖ヨヴァン・カネオ礼拝堂が建っている。オフリドのポスターやパンフレットでお馴染みの風景である。実際に来てみれば、これ以上の立地条件はないと思わせるものがある。

 

 

 

 遊歩道をたどると、漁村の面影を残すカネオ村が崖下にへばりついている。岸辺のカフェでお茶を飲む。店内にかかるポップスも西洋風になってきた。

 

 

 

 

 砦のある丘の斜面に広がる旧市街は東西500メートル、南北は300メートルほどの区域に過ぎない。ここに聖クリメント修道院、聖ソフィアという二つの教会があり、中国産の青い顔料で描かれたフレスコ画が有名である。顔料は変色してしまったのか、緑味を帯びた墨色で、火災の後といった感じがする。

 

 

 

 

 外壁に円頭アーチ連ねた聖ソフィア教会は、一時モスクに転用され、フレスコ画も漆喰の下に隠されていたとのことだから、保存状態は悪くないと思うのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の聖クリメント修道院は入場料が100デナリ(280円)もする。喫茶店で飲むお茶が一杯20から30デナリほどだから、かなり高く感じる。ここの受付の姐さんは親切で、砦を望むドンチョという名のホテルを紹介してくれた。ドンチョの語感はこちらでもおかしいらしく、笑っていた。

 翌日、この修道院の前で歩き疲れて休んでいたら、同じ姐さんがやってきて「今日はボスがいないから、写真もとっていいよ。」と言ってタダで入れてくれる。喜んで厚意に甘える。

  姐さんに「ブッダは神ではないし、輪廻転生はブッダが言い出したわけではなく古代北インドの一般的な考えだ。」と言ったのだが、あまり理解してもらえなかったようだ。

 死せるキリストを描いた壁画がある。これは三位一体の教義を表しているのだという。珍しい構図のようにも思えるけれども、異教徒にはピンとこない。

 

 

 

 

 旧市街と新市街の境目には、湖から商店街になった石畳の通りが伸びていて、つきあたりには市場がある。山と積み上げられたキャベツやパプリカ、店番をするのはスカーフをかぶったおばちゃんで、急にスラブ世界の匂いが漂ってきた。

 

 

 

 オフリドは観光地だけあって、両替屋は街の至る所に店を構えている。しかし、到着したのが日曜日だったので、営業していたのは市場近くの1軒だけであった。その代わり、アルバニアのレクも替えることができた。但し、レクはドイツ・マルクにしか両替できないそうで、しかもコインで返ってくる。

 市場の近くにキュリロスとメトディウス通りを発見した。この兄弟はマケドニア出身だったなと思う。もっとも、現在のマケドニア共和国は古代マケドニア王国の領域とは少しくずれていて、そのせいで隣国ギリシャからいちゃもんをつけられている。

 

 

 ホテル・ドンチョは、市場からさらに大通りを行った先の街外れにあった。フロントのカウンターにはガラス板にユーゴスラビア・ディナール紙幣がはさんである。ハイパーインフレ時代のもので額面の桁を数えて50億ディナールとわかる。通された部屋からは丘の稜線上にサムイル砦の石垣が見えた。

 

 

 

 

 

 夕方、湖岸のプロムナードを散策する。岸壁で絨毯を洗う人がいる。凧揚げをする人もいる。空港を飛び立った旅客機が、アルバニア領を侵犯しないように湖上で旋回していく。桟橋にはマケドニア海軍の巡視船も停泊しているのだ。

 

 

 

 日没は16時40分とかなり早い。しかし、それから1時間近くたっても山の端にオレンジ色の明かりが残っている。その上はスミレ色に透き通った空の色だった。

 

<8 ビトラ へ続く>

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