ユーゴスラビア東半分+アルバニアの巻 1996年

1 BB鉄道 

 

 
 

 

 夜行の座席車で目覚めると、外にはセルビアの農村風景が広がっていた。雨が降っていて、陰鬱な景色である。やがて、丘の上にはベオグラード郊外の高層アパートが見え始める。そして、頭端式のベオグラード駅に到着。ホームには屋根があるのに、付け根と駅舎の間にはなく、雨に濡れている。

 

 

 

 

 

 かつてのユーゴスラビアは自主管理社会主義の国として世界に存在感を放っていた。そしてボスニア=ヘルツェゴビナの内戦。ヨーロッパ世界での戦争は衝撃的だった。ようやく和平に目途が着いた今、旧ユーゴスラビアの東半分と、現代の鎖国と言われたアルバニアへ行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 駅から坂道を上って繁華街を目指す。ベオグラードは古代ローマ時代からの古い歴史を有するにもかかわらず、観光的にはパッとしない。歩行者天国のショーウインドウも野暮ったい。経済制裁の一方で、自国にそれなりの生産力があるからか、輸入品があまり無いように思える。

 

 

 駅に戻って、アドリア海に面したバール行きの列車に乗り込む。起点と終点の頭文字からBB鉄道と呼ばれるこの路線が開通したのは、私が小学生の頃だった。日本の新聞に載ったその記事には人跡未踏の山中を通したと書かれていて、首都からの路線がそんな田舎を通るのかと子ども心にも不思議に思ったものだ。

 

 

 ベオグラードを出て、やがて山中に分け入ってゆく。たしかに緑の濃い峡谷を渡ったりするから、谷のひとつひとつについて言えば新聞記事も誤りではないのかもしれない。

 

 

 

 この列車は、いわゆる新ユーゴの国内列車ではあるが、地図をよく見ると路線の一部がボスニア=ヘルツェゴビナ領をかすめていて、駅もあることになっている。しかし、出入国審査もなく、国境がどこかはわからなかった。小駅は通過しているから、回廊列車のような扱いなのだろう。谷を巻いて下った先のプリボイという村にはモスクがある。

 

 日が暮れてポドゴリツァに着き、下車する。新ユーゴを構成するツルナ・ゴーラ(モンテネグロ)の首都である。小さな駅舎を出るとろくな駅前広場もなく、中層のアパートが並んでいる普通の住宅地である。それでも1階にはカフェが何軒か営業しているので、中の1軒に入り、食事がてらホテルの所在を尋ねる。教えてもらった中心部のホテルに行ってみると満室とのことで、すぐ近くの別のホテルを紹介してもらう。

 

 

 宿泊したホテル・ポドゴリツァはカテゴリーBというクラスで、カジノも併設されている。一泊の料金は100ドイツ・マルク。他の通貨は受け付けないのだと言う。

 カード払いができることを確かめてからチェックインする。川に面した公園の中に立地していてリゾートホテルのような佇まいである。

 

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