地図から始まる旅 ウクライナ 2018年

5 ゾーロチウ城

 リボフ滞在の1日を利用して、稜堡式の城郭があるゾーロチウという小都市へ日帰り旅行してみようと思う。

 この町には鉄道も通じてはいるのだが、いかんせん本数が少ないし、駅と町は離れてもいる。一方、バスは所要時間こそ1時間半と鉄道の1.5倍であるものの、20分おきに出ているというからこちらの方が便利だ。ただし、バスターミナルはリボフ市街の東はずれにあるNo.6というところである。

 

 

 早朝、宿にしているプライベートルームを出て、例によってまだ真っ暗な道を中心街とは反対方向に歩いてゆく。宿泊施設を決めるにあたっては、このNo.6バスターミナルに近いことも条件の一つだったのだ。

 途中、ロシア領事館前の交差点を渡る。自動小銃を持った兵士が2人、警備にあたっている。

 大きな墓地の前を通り、右折してトラムに沿って歩いて行く。蛍光灯に照らされた聖母マリアの礼拝堂がある。

 

 

 No.6バスターミナルは思ったより遠く、宿から30分以上もかかったので、到着した時にはもう夜が明けていた。バスターミナルといっても路上にバス停が並んでいるだけで待合室や切符売場、トイレなどの施設は何もない。

 バス停に掲げられた時刻表を順々に見て行くが、ゾーロチウ行きの表示がない。見落としたかと思って引き返してくると、一番外れにゾーロチウの行先表示を出したミニバスが停まっているので乗り込む。運転手が8時10分発だという。まだ30分以上もあり、どうやら20分おきではないらしい。

 暫くすると、並んだバス停群の反対側の端に移動する。ここが本来の乗り場のようだが、我がゾーロチウ行きだけは表示が何もない。

 

 

 ようやく発車すると長い坂道を下り、街の入口を示す白いライオン像を過ぎる。田園地帯に出ると、並木にヤドリギがたくさんくっついているのが見える。

 通過していくバス停はどれもタイルモザイクで飾られている。20年以上前にモルドバで見たのと同じタイプで、リボフ方向にだけ建っている場合が多い。バスを待つ人はリボフ方向が圧倒的に多いだろうから、ある意味、合理的である。

 

 

 ゾーロチウの町に入ると、丘ひとつを埋め尽くした墓地を見ながら、町を囲んでいた堀割に沿って回り込み、市街地北端のバスターミナルに着いた。ここもただの空き地で、施設といえるようなものは何もない。

 

 

 

 まず、さっきバスから見た掘割の方へ行ってみる。空堀の底は児童公園になっていて、大きな聖人像が建っている。堀に面して16世紀からあるというニコライ教会が建っていて、日曜の朝だからミサを行っている。屋外で頭を垂れて佇む人たちが名画の世界のようだ。

 

 

 

 

 町の中心に足を踏み入れると、建物はどれも相当古びていて、キエフやリボフのような大都市とはずいぶんと趣が違う。その一方で真新しい教会がいくつかあって、建物こそ安っぽいものの、どこも信者が集まっている様子だ。

 

 

 

 小さな町だからすぐに市街地が尽きて、城の前に出る。坂道を登り、枡形から場内に入る。1辺が200メートルにも満たない小さな四稜郭であり、周囲の城壁は一周できる。

 

 

 

 

 

 城内には、ルネサンス風のカラリスキー・パレスと、とんがり屋根を抱いた離宮風のキタイスキー・パレスが建っている。キタイスキーといっても外観は中国とは全く無関係で、室内にオリエント趣味の当主が集めた東洋の美術・工芸品が展示されているだけである。東洋の範囲も古代エジプトから日本の江戸時代までと、ヨーロッパより東なら何でもよかったようだ。


 

 

 

 両パレスの間には赤い鳥居があって、妙な形の岩や灯篭が配されている。このあたりは日本庭園のつもりらしい。

 

 

 

 

 

 カラリスキー・パレスの方には復元された大広間や階段室があり、復元工事の様子などが展示されている。昔の様子を示した地図もあって、それによれば城に接しては湖があり、今のバスターミナルあたりには市が開かれる広場があったということだ。

 

 

 

 

 お腹もすいたので、町に戻って一軒のパン屋に入る。この店の場所は、むかしの広場だったあたりだ。サンドイッチの類を積み上げた素朴な店であるが、食べてみると意外にもおいしい。追加注文して店の片隅で食べていると、次から次へとお客がやって来て途切れることがない。ついでにトイレも借りる。店主のおっさんの後ろにある棚が、トイレのドアだった。

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