北朝鮮の巻 1996年

7 北京行き国際列車

 北朝鮮での滞在も最終日になってしまった。今朝は、案内員Hさんと駅へ行く。駅の案内員は切符売場が開くのは8時からで見学もできると言う。しかしHさんは、「新義州への切符はコンピューター発券だけど、それ以外はみすぼらしいと思うかも。」と連れて行きたくなさそうである。結局、「またにしましょう。」ということで、ホテルに帰る。

 

 

高麗ホテルからの眺め

 

改めて駅へ向かい、豪華な外国人用待合室に納まる。ホームに面して窓があり、自由に写真が撮れる。空港からここまで、ツアーとして団体行動をしている間は写真撮影に関しての制限などは一切なかった。

徳山から平壌経由で平南温泉まで行く列車が発車していく。

 

 

 

 

 北京行きの国際列車は11時30分、定刻に発車した。ホームでは、案内員Sさん、Hさん、そしてずっと我々のビデオを撮影していた人が手を振って見送る。国境の新義州までは4時間半かかる。その間は車掌しか我々を監視する立場の人はいない。そのせいかこの車掌、態度が高圧的である。

 

 

 

 列車内を探検してみる。自由に行き来できる「国際列車」なのは4両だけで、その後ろには新義州までの客車が連なっている。4両のうち1両は我々の乗っている中国の冷房つき寝台車、1両は北朝鮮の食堂車で、あとの2両は遥かモスクワまで行くロシアの客車である。もっとも乗務員はロシア人だがお客は中国人ばかりで、さすがに平壌からモスクワまで乗り通す人はいないようだ。

 

 

 沿線は田んぼが広がり、開城方面より豊かなように見える。踏切番が粗末な棒を立てて列車を見送る。たいていの国では踏切版はおばさんが多いのだが、この国ではおっさんが多い。

 

 

 13時、新安州着。兵士がたくさん降りる駅全体に緊張がみなぎっていて、カメラを見ただけで女の駅員が旗を左右に振る。

 

 

 やがて雨が降り出す。傘をさす人などなく、農民はビニールをかぶって雨を凌ぎ、街の住人は中層アパートの軒下で雨宿りしている。

 南新義州からはトロリーバスの架線が並走する道路に張られている。走っている車両はここでも見かけない。

 

新義州駅

 

 30分遅れで新義州に到着する。車両の切り離しもあるから停車時間は長いけれども、ホームに出ることはできない。トイレには行かせてもらえるようで、車掌に頼むと兵士がホームのトイレまで引率する。ところが、しばらくすると車両のドアが開放された。ツアーの一行がぞろぞろ降りて写真を撮りまくる。薄暗いホーム上だから大した写真が撮れるわけはないが、国境警備の兵士に撮影してもらっている人までいる。

 と、鋭い笛が鳴り、全員が列車に追い立てられる。若い軍人が兵士を詰問している。この将校風の男、真夏なのにロングコートを着込んで異様な風体である。顔つきもいかにも融通が利かなそうな感じがする。その時、我々は気がついた。コートの下に、自動小銃が隠されていることに。

「奴なら撃つ。外国人だろうと撃つ。」車内で我々は囁きあった。

 

 

 18時13分発車。すぐに鴨緑江の橋にさしかかる。岸には人けのない公園にみすぼらしい観覧車が建っているだけである。一方、対岸の丹東はクリーム色のビルが立ち並び、岸辺の船からして活気がある。

 丹東までの所要時間はわずか10分。観光名所になっている破壊された鉄橋を見ながら街に入れば、たくさんの自動車、たくさんの自転車、山積みのスイカ。乗客の中国人たちも急に賑やかになる。

「自由の国に帰って来たのねえ。」とF夫人が言う。北京到着は、明日の午前10時である。

 

[北朝鮮の巻 終わり]

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