北朝鮮の巻 1996年

3 ぶらり平壌

 ツアーだから空港からバスに乗せられてホテルに入る。平壌の中心部にある高麗ホテルである。平壌駅や朝鮮労働党本部が徒歩圏という抜群のロケーションを誇っている。

 旅程表では「市内観光」となっていたのだが、添乗員Iさんが「お疲れの方もいますから休憩にしましょう。」と言う。おいおいわかってくるのだが、この添乗員Iさんは、何かというと休憩をとる。そして、この「休憩」こそが我々に自由行動の時間を与えるという、Iさんの深慮遠謀であったのだ。

 

 

 自由時間となれば、まず見てみたいのは駅だ。ホテルの玄関を出れば右手の突き当りに平壌駅が見えている。 

 歩いて行き、駅舎の中に入ってみる。2階に上がって回廊から中央のホールを見下ろせば、おばちゃんの団体やハイティーンの女の子のグループがいて、どこにでもあるような列車待ちの情景である。ただし、女の子たちは軍服姿であるが。

 

 

 

 階段の途中からはホームも見渡せる。だだっ広い1番線ホームに電光時計の光が反射している。その向こうに停まっている客車は確かに相当痛みが激しい。

 

 

ホールに降りて改札口の上に掲げられた時刻表の写真を撮っていたら「案内員」の腕章をした女性が近づいてきて、外国人専用待合室の扉を開けて招き入れる。北京への帰りにはここを利用するはずだから、いまのところ用はない。

 

外国人専用待合室の時刻表

 

 それにしても、駅舎内には切符売場らしき場所がない。案内所には人だかりがしていたのだが。駅前広場に出てみるが、それらしき場所は見当たらない。

 

 

広々とした広場には、いくつか小さな売店がある。ひとつは閉まっているが宝くじの売店で、景品が掲示してある。1等はテレビで5本、以下11等の30ウォン2000本まである。

別な売店を除くと、これも営業していないが金魚の店らしい。なぜ首都の中央駅前で金魚なのか理解に苦しむ。

唯一賑わっているのがパンや飲み物の露店である。1杯20チョン(0.20ウォン)で「ココア茶」なるものだそうだ。飲んでみると、かすかにココアの香りがしないでもないという代物であるが、暑い季節だからかよく売れている。ところが、写真を撮ってもいいかと聞くと、今までのにこやかな態度は消え失せ、手前に並べたパンなども隠してしまうのだった。

 

 

 

駅正面の大通りである、栄光通りをホテルの方に戻る。この通りには路面電車が走っている。横腹にはスローガンが書かれ、どの電車も満員である。停留所に安全地帯などはなく、電車が着くと歩道からばらばらと走って行って乗り込んでいる。

 

 

電車を待つ人々

 

車の渋滞などありえないはずなのに、数珠繋ぎになって運行している。停留所の間隔は1キロメートルはあり、高速で飛ばすのにドアが開いたままの車両も多い。

 

 

それでも電車はまだきちんと運行している方で、トロリーバスなどはエンコしたままの車体も見たし、駅前広場には100メートルに及ぼうかというバス待ちの列も見られた。

 

トロリーバス停の表示

 

 さてこの栄光通りはこの街でも第1級の通りのひとつだと思うが、なぜか床屋が多い。白い上っ張りを着てシャキシャキと髪を刈っている。

 

 

 

表通りだけでなく裏通りにも入ってみる。建物の表通り側はタイル張りでも、裏側はコンクリートがむき出しでどす黒く変色している。そんな中に子どもたちの遊ぶ公園や幼稚園がある。屋台も出ていて、おでんの練り物のような食品を売っている。キャベツや白菜を満載したトラックも停車している。商店があるわけではないから、直接各戸に配給するのだろうか。

 

 

アイスの屋台はあちこちに出ていて、女子高生たちがアイスをかじりながら地下道へと消えてゆく。セーラー服を着ていても、足もとを見るとやはり靴下をはいていない。

 

 

大通りの交差点には名物の交通整理員が立っていて、クルクル回ってゴーストップのサインを出している。彼女たち(全員うら若き女性である)が相手にするのは自動車だけで、人間の方は地下道を通らされる。照明はなく、蒸し暑いポンプ室の扉が開け放してあって、女性が機械の監視をしている。

 

 

大同江のほとりに出ると公園になっていて、男女の二人連れがいる。といっても二人の距離は遠い。主体思想塔や玉流館(レストラン)を望むことができ、鉄橋を路面電車も渡っているのでなかなか風情がある。

 

 

 

写真を撮っていると、一人の老人に話しかけられた。東京から来たと言うと、「平壌は空気が違うだろう。」と自慢げに言った。 

 

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