ベッサラビアの巻 1997年

3 プリドニエストル

 ところで、まだモルドバの鉄道に乗っていない。そこで、駅へ行ってみる。駅舎の正面には立派な時刻表が掲示されている。これが、ソ連式とでも言おうか、始発駅、この駅、終着駅の時刻を並べて記したもので、すこぶる分かりにくい。なんとか読み解いてみるに、ベンデルィという街への往復がよさそうだ。片道2時間強、ベンデルィが東のオデッサ方向にあることは知っているが、どのような街かは皆目わからない。

 

 

 

 

 時刻の目途がついたので駅の中を探検する。独特の様式で建てられた駅舎に正面からは入れず、ホーム側からしか入れない。入っていくと。中央ホールの吹き抜けには巨大なシャンデリアが吊り下げられている。しかし点灯していない。隅の売店で蛍光灯が鈍い光を放っている。2階には待合室や国際線の切符売場がある。椅子に座っている人は多いのに、物音ひとつしない。なんだかこの世のものではないような雰囲気だ。

 国内線の切符売場は、駅舎のずっと左手、1番ホームに接してコンクリート造の売店なんかが並ぶ中にあった。ベンデルィまでたったの1.80バニ(45円)しかしない。

 切符を買っていると1番線の向こうをディーゼルカーが通過していく。ローカル列車の乗り場は1番ホームをさらに500メートルほども行った先にあるのだ。そちらの方から到着した乗客たちがぞろぞろと歩いてくる。

 

 

 

 近郊列車用のホームには続けて列車が到着する。車両はどれも同じ型で、重量感のあるディーゼルカーである。乗り込もうとするとデッキの足元が広く開いている。この乗り場は高いホームを備えているのに、車両の方は低いホームに対応したステップが組み込まれていて蓋もしていないから、ちぐはぐなことになってしまっている。

 車内は4人掛けと6人掛けの向かい合わせのボックスが並び、シートはカラシ色に塗られた木製である。車室の端には定員120人と書いてあるからかなり大型の車両に思える。

 

 

 キシニョフで降りる人は多かったのに乗る人は少ない。空いているのはいいけれど、暖房が効いていない車内はものすごく寒い。

 停車中に、物売りが次々とやってくる。新聞やお菓子が主で、飴を袋からばら売りする人もいた。その他に「プラダーユ!プラダーユ!」と呼ばわる老夫婦もいる。「売ってるよ!」と言っているのだが、何を売っているのかはわからない。

 

 

 8時27分、定刻に発車する。ゆっくりと走って、頻繁に停車する。ほとんどが「停留所」ですぐに発車するのだが、「駅」に停まると10分、20分と停車する。二重ガラスの窓が曇って、対向列車の乗客も幽霊みたいに見える。

 こちらの車内ではトランプをしている人が多い。物売りはキシニョフ駅で皆降りてしまったらしい。走り出してからは検札と、乞食の老人が一人来ただけである。

 沿線は、取り立てて特徴のない農村風景が続く。茅葺屋根の農家も見える。

 

 

 

 

 

 

 10時37分、定刻にベンデルィ1駅に到着。車両はお粗末でも時刻は正確だ。

 広々としたホームに堂々たる駅舎。掃除も行き届いていて清々しい。駅舎の写真を撮っていると、女の子たちがこちらを見てはくすくすと笑っている。

 

 

 

 

 駅前の真っすぐな通りを行く。高層アパートの下にある「第23食料品店」、キシニョフ駅と似た様式の映画館の向かいには金色のレーニン像、交差する通りは左右ともどこまでも続く並木道。典型的なソ連の地方都市という感じがする。

 それでもローマ風の建物も見られるのが地域柄だ。

 

 

 

 

 

 やがて、教会のある広場に着く。斜め前方から人が次々とやってくる。行ってみるとそこは市場であった。中心にある大きな体育館のような建物の中では、チーズ、蜂蜜、肉、お茶などを売っていて、周囲の露天市場では野菜や果物を売っている。魚は専用の建物があり、油や牛乳は小型のタンク車や大瓶からの量り売りである。

 市場の売り子というと、大概は豪快なおばちゃんというイメージなのだが、この市場には若くて可愛らしい娘さんが多い。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この市場ではあちこちにカセットテープを売る店がある。テープの中身はロシアン・ポップスである。愛想のいい姐さんの店で2本購入する。20レイ札を出すと「お釣りはクーポンだけどいい?」という。何だかわからないままに「OK」と答えると「クーポン」がどっさり返ってきた。ルーブルとも表示してあるが、虹色の印刷が華やかなロシア紙幣とは違い地味な感じがする。数えると50万ルーブルもある。さらによく見てみるとプリドニエストル銀行とも書いてあるではないか。

 

 

 

 

 プリドニエストルがモルドバ内で独立宣言した「国家」であることは知っていた。しかし、その領土はドニエストル川の東岸であり、このベンデルィは西岸に位置するのだ。だから列車もベンデルィ止まりなのだと思っていたし、列車内でも駅でもパスポートのチェックなどはなかった。ところが、現実にはベンデルィでプリドニエストルの独自通貨が通用している。ということは、図らずもプリドニエストルに「入国」してしまったことになる。

 

 

 

 

 実は、市場のあちこちで「2M800T」などと書かれた札を目にしてはいた。何のことだかわからなかったけれども、これは値札だったのだ。「M」はミリオン、「T」は「千」に当たるロシア語の略で、この例ならば2,800,000プリドニエストル・ルーブルというわけだ。かなりのインフレなことは間違いなく、お札も「0」が加刷されて、元の10ルーブル札が1万ルーブル札に、5ルーブル札が5万ルーブル札になったりしている。高額紙幣の方は元の額面のままだから、少額のお札の方がきれいである。

 その後、何軒かの両替所を覗いたところでは1ドルが68万ルーブルの両替率であった。

 

 

 

 

 市場を出てドニエストル川の方へ行ってみる。川沿いには古い平屋の住宅が並ぶ一角があって、岸にはジェットフォイルが係留されている。川が「国境」となってしまっては、運行する機会もないだろう。対岸はプリドニエストルの首都であるチラスポリのはずなのだが、もやっていてよくわからない。一方、橋のたもとには戦車が出ていて、そばのアパートには無数の弾痕が残っている。一時はこの街でも激しい戦闘があったのだ。

 

 

 中心街へ戻るとデパートを発見した。「カサ・デ・コメルツ・ビクトリア」という名前である。モルドバ語についてはひと言も知らないが、ラテン語の仲間だから意味はわかる。

 店内に入ると、市場とは打って変わってお客がいない。商品は普通にある。

 ここでスーツを買う。生地や縫製はしっかりしている。ボタンの位置が少々おかしいけれど、それは自分でも直せる。2,700万ルーブルと景気のいい値札が付いているが、たったの4,000円である。

 

 

 

 

 

 また寒い列車に乗ってキシニョフに帰る。寒いだけでなく暗い車内だ。2列ある蛍光灯は全滅で、車内に2か所の非常灯だけしか点灯していないからだ。それでも時刻だけは正確である。行きと同様、「出入国」審査などはなかった。

 

 

 翌日は飛行機でモルドバを出国した。機材は客室の前後とも荷物室になったアントノフ24型プロペラ機であった。

 

[ベッサラビアの巻 終わり]

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