ベッサラビアの巻 1997年

1 ビザ取得までの長い道のり

 

 旧ソ連では、予め全ての予約を確定してビザを申請する「バウチャー旅行」しか一般の旅行客には認められていなかった。主義主張や経済体制はともかく、自由な旅行ができないのはつまらない。連邦が解体してもこの制度が残っていた国も多く、行きたいなあと思いつつも二の足を踏んでいた。

 ところがある日、ビザ・ハンドブックという本を見ていたら「モルドバにルーマニアから車で入国する場合は、国境でビザ取得が可能」と書いてある。こんなことはガイドブックにも書いてないし、実行した人の話も聞いたことがない。果たして本当に行けるのだろうか。

 目指せ、ベッサラビア!(ベッサラビアは、プルート川とドニエストル川に挟まれた地域のかつての呼び名で、概ね現在のモルドバ共和国の版図と重なる。)

 

 

 

 

 

 

 12月のある日、ルーマニアの首都ブクレシュチのオトペニ空港に降り立った。小さな空港で、飛行機からターミナルビルの出口までがとても短い。ビザさえあれば、入国カードを書くこともない。

 中心部までのバス乗り場も出口のすぐ前である。カード式の切符があって6000レイ(90円)で2回n乗車できるのだという。ただし、この路線専用だから片道分は捨てざるを得ない。

 バスはずっと公園の中を走っているような感じがする。ブクレシュチとはこんなに美しい都市だったのかと思っていると、停留所に着き人がたくさん降りた。隣に座っていたお姉さんにビクトリエイ広場かと聞くと違うという。しかし本当はそこがビクトリエイ広場であった。次に止まったロマーニャ広場から歩いて戻る。

 この街はかつて「小パリ」と称されていたそうだが、バスを降りて歩いてみれば少し印象が違う。パリよりもローマに範をとったような建物が多いのだ。ロムルスとレムスの像もある。

 

 

 

 

 ビクトリエイ広場から地下鉄でブクレシュチの中央駅である北駅に向かう。地下鉄の切符もやはり2回使えるカード式で、2500レイ(37円)と格安である。だが、こちらも1回分しか使わない。

 北駅は四角い公園の向こうに建っていた。駅舎の外観はあまり大きく見えないが、改札を通れば櫛型のホームがずらりと並び、たくさんの乗降客で賑わっている。この駅には浮浪児が住みついているなどと言われていたけれど、全く見当たらない。コンコースにはクリスマスの飾りつけがされて華やかな駅である。ルーマニアにもブクレシュチにも、これまでのところ、報道されているような負の側面は感じられない。もっとも、切符売場には20以上のブースがあるのに、切符を手に入れるまで1時間20分も並んだから、利用客が多いのも良し悪しではある。

 ホームの付け根には屋台がいくつかあって、Gogosという粉砂糖をかけた揚げパンがうまい。車内での夕食用にハンバーガーなども買っておく。

 

 

 

 

 

 さて、まず目指すのは、この国の北東部に位置するヤシである。ヤシは、かつてのモルダビア公国の都で、モルドバへとつながる鉄道が通っている。鉄道があるなら、きっとバスもあるだろう。国境までは10キロメートルあまりだからタクシーに乗ってもいい。

 発着するどの列車も大混雑で、ヤシ行き列車も満員で北駅を出発した。車内は暖房が効きすぎと言っていいくらい暑くて、コーラを飲んでいる人が多い。発車して3分もすると平屋の並ぶ住宅地になり、10分も走ればもう大平原だ。コンパートメントの中ではラジオらしき放送がずっと流れている。そういえば、バスでも地下鉄でも民族音楽が流れていた。

 

 

 定刻にヤシ到着。駅舎は尖頭アーチが並び、どことなくヴェネツィア風である。泊まったホテルの部屋にもヴェネツィアの油絵が飾ってある。フロントで尋ねると、モルドバの首都キシニョフ行きのバスは朝の8時と9時に出るという。

 

*     *     *

 

 翌朝、まだ暗いうちからバスターミナルへ行く。ホールの時刻表によれば、キシニョフ行きは7時にあって、次は午後の便になってしまう。おもてのプラットホームにも時刻が掲げてあって、そちらには8時発も書いてある。7時の便は既に満席だったので、8時の方を予約する。

 

 

 高層マンションの中にあるプラットホームはふきっさらしではあるけれど、朝日が当たって寒くはない。キシニョフ行きの看板の前に立ってみれば、周囲にいる人々は明らかに他のルーマニア人とは雰囲気が違う。服装は洗練よりも実用を重視した感じだし、顔だちもラテン系では無くてスラブ系の感じがする。元々同じ国だったはずなのにこの違いは何だろう。それとも、モルドバに住んでいるロシア人やウクライナ人たちなのだろうか。

 発車時刻になると毛皮の帽子をかぶったおやじが座席番号を読み上げる。言葉はロシア語だ。車内に入ると番号は網棚にペンキで記されている。

 20分遅れで発車。車内は合唱する男たちもいて賑やかだ。

 

 バスは30分ほど走っただけで国境に到着した。係官が乗り込んできてパスポートを集める。ほとんどが旧ソ連時代からのパスポートかカラフルなモルドバの身分証で、そのほかはルーマニアと日本のパスポートが各1冊のみである。

 しばらくしてパスポートを返してくれる。「ビザ、モルドバ?」と聞かれたので「ない」と答えたが、そのまま返してくれる。ルーマニアの出国スタンプが押してある。

 9時30分、バスは氷の浮かぶプルート川を渡ってモルドバ側の国境に着いた。ここでは自分だけがバスから降ろされて別室に入れられる。だいぶ待たされた後、司令官らしき軍服の老人がやってきて「ここからの入国は罷りならん!」と厳かに?宣言した。

 50メートルほどの橋を歩いてルーマニア側に戻り、出国スタンプにキャンセルのハンコを押してもらう。双方の国境警備隊員の話を総合すると、レウシェヌィという国境には領事がいてビザを取ることができるらしい。そして、そのレウシェヌィはフシという町の近くにあるのだという。

 

 

 

 モルドバからやってきたバスに便乗してヤシに戻る。車内でリンゴを2つもらった。それどころか運賃を払うのを忘れていて、ただ乗りになってしまった。ヤシの街に入り、修道院の塀に囲まれた広場で降ろされる。トラムの終点ループがあり、やってきたトラム7系統に乗ってバスターミナルに舞い戻る。

 

 ターミナルのホールに掲げられた時刻表を見ると、都合よく14時15分発のフシ行きがある。時間があるのでぶらぶらしようと表に出ると、隣接する広場に人だかりがしている。トランシルバニア各地のお祭りを一堂に集めたような催しが開かれているのだ。これはおもしろい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて祭典は終了したのか、グループごとに集合写真を撮ったりし始めた。自分もカフェテリアに入りケーキとヨーグルトのおやつを食べる。ヨーグルトはキフィルというからケフィアなのか、ガラスコップに入っていてっ結構生臭い。

 時間が来てフシ行きのバスに乗り込む。これは全くのローカルバスで、主な利用客は下校する高校生たちである。沿線には2頭立ての馬車が走り、屋根付きの井戸があちこちにある。ずいぶんと田舎に来たように感じる。

 

 

 

 フシには2時間あまりで着いた。線路を越えて入ったバスターミナルは、町はずれにあるようだ。掲げられた時刻表を見ても、キシニョフの文字はない。窓口で尋ねてみれば、「キシニョフならヤシから直行バスに乗れ」というばかりである。客待ちのタクシーもいないし、モルドバに行くのは無理なのだろうか。

 

 

 駅に立ち寄り、この駅始発の夜行列車があることを確かめる。それから町の中心と思しき方向へと歩いてゆく。まだ17時過ぎだというのに人も車もほとんど通らず、深夜のような雰囲気だ。それでもバルやレストランはいくつかあって、中の一軒で食事にありつける。

 さらに歩いて行くと、さっきバスが停まったバス停があった。このあたりが町の中心のようだ。よく見ると、タクシーが3台、客待ちをしている。運転手に尋ねてみれば、「国境は開いている。10ドルだ。その先は別な車で行けばいい。」という答えだ。10ドルが高いのか安いのかわからないが、とにかく乗り込んだ。

 

 ルーマニア側の国境はアルビツァというらしい。20分ほどでナトリウムランプも眩しい国境に着く。タクシーを降りて歩いて行く。税関はフリーパス。しかし、その先で止められる。「歩いて国境を越えることはできないから、乗せてくれる車が来るまで待て。」とのことだ。ビザ・ハンドブックに「車で国境を越える場合には」と書いてあったのは、文字どおり「車で」なのだった。

 

 結局、氷点下20度の中、2時間待っても車は現れず、この日は近所の民家に泊めてもらった。部屋には薪ストーブがあり、明け方にはすっかり燃え尽きていた。

 

<2 キシニョフ へ続く>

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