中央アメリカの巻 1989年

4 ユカタン半島縦横無尽 

 まだ夜も明けやらぬ3時30分にエル・ナランホを出発。フローレスとメンチョール・デ・メンコスで乗り換え、グアテマラ北部を横断して、ベリーズに向かう。

 このあたりは古典期マヤの中心地帯で、平坦なジャングルが広がっているイメージであったが、意外にもずっと山がちのところを行く。それはともかく、なにしろ道がひどい。石灰岩の塊がごろごろしているのだ。

 

 ベリーズといえばダイビングスポットが有名であるが、マヤの遺跡もある。その中の一つ、シュナントゥニッチという遺跡を訪ねるべく、国境を越えて数キロメートルのサン・ホセ・スコッツという村でバスを降りる。

 目の前に川があって、遺跡に行くにはフェリーで渡らなければならない。このフェリー、台船が両岸に渡したワイヤーに繋がれていて、船上のギヤみたいなものでワイヤーを手繰って行き来する。動力は人力である。これが、空中に浮いていればロープウエイと呼ばれ鉄道の一種になるのに、水上にあれば船の仲間なのはなぜだろう。

 

 

 

 さらに森の中を歩いて、遺跡へ。ピラミッドに登ると、向こうにグアテマラ領の山並みが見えた。見晴らしはいいけれど、周囲は森ばかりだから、敵が攻め寄せても見えないだろう。神殿都市だから、防衛など考えなくてよかったということなのだろうか。

 

 

 

 この日は、国境近くののベンケ・ビエホ・デル・カルメンという町に宿泊した。国境というと猥雑で治安も悪い所が多いものだが、ここは長閑な田舎町である。

 久し振りのまともな宿なので、シャツを洗濯しようと洗面所へ行く。すると、宿の婆さまが「洗濯するなら裏の川へ行け」と曰う。そういうわけで『若者は川へ洗濯に行きました。』

 すると、洗濯する人やら水浴する人やらで、町の通りよりも賑わっている。この川は町の社交場となっていたのであった。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 翌日はグアテマラに舞い戻ってティカルへ行き、遺跡の中にあるティカル・インというホテルに泊まった。一泊25ドルと、これまでの安宿に比べれば高いけれど、夕・朝食つきであることと、ロケーションを考えれば納得の値段である。建物は草ぶきで、食堂にはろうそくが灯っている。(自家発電設備はある。)

 

 

 

 夜明け前、早起きして遺跡を歩き回る。霧が深くて朝日は拝めない。それどころかジャンパーを着ていても寒い。この時間、ティカル・インの宿泊者以外に訪れる人はいないから、遺跡は静寂に包まれている。

 

 マヤの世界を堪能した後はフローレスの街に戻る。本来、フローレスとは湖に浮かぶ島にある街で、湖岸のサンタ・エレーナ、サン・ベニートとともに一つの市街地を形成している。バスターミナルなどはサンタ・エレーナにあるのだが、言わば旧市街であるフローレスに敬意を表してか、バスの行先や空港はフローレスを名乗っているのだ。

 サンタ・エレーナ地区には大きな市場もある。売り物の毛糸がいかにもマヤ風の色合いで、同系色のスカートをはいたおばさんも見かける。

 

 

 

 

サンタ・エレーナの市場と町

 

 ところで、マヤ最後の都であるタヤサルは湖上の島にあったという。該当する地形はこのフローレス以外にはないと思う。しかし、考古学的な証拠はないのだという。

 堤道を渡って島に入ってみれば、典型的なコロニアル都市である。一番高い所にある教会から坂を下ればもう島の反対側の岸に出てしまう。岸辺の建物は地盤が沈んだのか水位が上昇したのか、軒並み水没していて何ともわびしい光景だ。スペイン人が来襲した時点で既にマヤは衰退して小国家分立状態だったから、たとえここに都があったとしても大した規模ではなかったのではないかと思う。

 

フローレスへの堤道

 

 

フローレス

 

フローレスからサン・ベニートへの渡し船

 

 サンタ・エレーナから再びバスに乗ってカリブ海岸の街プエルト・バリオスを目指す。

 今度のバスは一応、指定席である。しかし片側3人掛けで、窮屈なことこの上ない。その上、発車時間を過ぎても、車掌たちが荷物を屋根に放り上げていて、なかなか発車しない。その掛け声が「エキパッヘ・グアテ!」(グアテマラの荷物?)と聞こえる。

 発車したらしたで、ちょっと走ってはすぐに停まる。このバスバスに限ったことではないのだが、道端で手を上げれば停まり、好きなところで降ろしてもらえるのだ。だから時には数十メートルごとに停車することにもなる。車掌はその都度、まだ停まり切らないうちから飛び降りて、荷物があれば屋根に担ぎ上げ、子どもがいれば手を引いてやる。発車のときには、ひと言「エレ!」と叫ぶ。そのときはまだ車体の横腹にいて、バスが走り出したとたん、デッキに駆け上がる。若者ばかりとはいえ、相当の重労働であることは間違いない。

 

 

 沿道は石灰岩地帯で、ウバーレやらドリーネやら、社会科の地図帳を思い起こさせる地形が続く。うつろな意識のどこかで「新しい天国」と書かれた看板を見た。

 

  陽もとっぷり暮れて、モレロスというところで降りる。ここはプエルト・バリオスとグアテマラ・シティとを結ぶ幹線道路のT字路で、プエルト・バリオス方面はここで乗り換えとなる。プエルト・バリオスはこの国唯一の天然の良港といっていいから、さすがにトレーラーが疾駆している。

 

 

 この街道と並行して鉄道が走っている。Ferrocarriles de Guatemala、略称はFEGUA。旅客列車の運行は週3往復である。

 

<5 プエルト・バリオス へ続く>

<うさ鉄ブログ トップページ へ戻る>