中央アメリカの巻 1989年

2 メリダーノ号改メ名無しの無番地列車

 

 さて、無事に切符を手に入れて、売店でパン屋ジュースを買い、ホームに上がる。

 客車はたった2両きりである。いかにも北米らしいスタイルの客車で、どちらの車体にも「プリメラ」(1等)と大書きしてあるがもちろん2等車だ。乗り込んでみれば、シートは破れ、電灯は落ち、ひどい車両である。他のホームに停車している車両と比べても見劣りがする。

 トーマスクック時刻表には「メリダーノ」号という愛称と1等車連結が記され、ユカタン半島への観光輸送も担いそうな列車に見える。しかしてその実態は、愛称どころか列車番号まで不明の、いつ廃止されてもおかしくないようなオンボロ列車なのであった。

 その上この列車、いつまでたっても発車しない。日が暮れてきても明かりも点かない。結局、1時間40分も遅れてのブエナビスタ駅発車となった。

 

 ようやく走り出しても車内は真っ暗である。網棚には読書灯まで備えてあって、かつての豪華さを偲ばせる。今はもちろん点かない。天井の蛍光灯は初めからなくなっている。デッキにひとつ灯った裸電球が唯一の照明である。

 そんな中でも懐中電灯を頼りに検札が来るし、物売りもやって来る。初めは制服を着た男がゼリーや万能ナイフを売っているだけだったが、途中駅からは沢山の物売りが乗り込んできた。貸し枕屋や寝具屋も来る。寝具といってもじゅうたんのように分厚い毛布を折りたたんで首の出る穴を開けた、古代人の貫頭衣みたいなものである。20,000ペソ(1,000円)と他の物価と比べれば法外な値段ではあるが、購入した。なにしろ寒い。メキシコシティが標高2,000メートルを超える高地に位置していることは分かっていたのに、防寒の備えをしてこなかったのは失敗であった。頭からかぶってみれば、この防寒寝具、暑いくらいに暖かい。ただし、非常に重たい。

 いずれにしろ懐中電灯の光が頼りだから、お金のやり取りをするのも難儀な事ではある。

 トイレに行く。トイレの中も当然真っ暗だから、カンに頼って放出する。

 真夜中に突然、前の席の窓ガラスに鋭い音がした。投石である。窓ガラスは粉々になっているものの崩れ落ちはしない。2層になったガラスの間にフィルムが挟まっているからで、そんなところもこの車両の元々のグレードの高さを偲ばせるのであった。

 

 1時半頃、右手車窓のはるか下の方に街明かりが見える。谷を隔てた向かいには、道路のナトリウムランプがジグザグに点灯している。そこから列車はゆっくりと坂を下ってゆく。そして、谷底の駅に停車したまま動かなくなり、とうとう夜明けを迎えた。

 貨物列車に追い抜かれ、対向の旅客列車と交換してやっと発車。そこからも深い渓谷に沿って、オメガカーブを繰り返しながらどんどん降りてゆく。

 

 

 サンタ・ロサ、ノガレスと町を通過する。ノガレスにはクアウテモックというセルベッサ(ビール)工場があるそうだ。

 踏切に遮断棒がないので、街中に入ると警笛を鳴らしっぱなしで走っている。昨晩、メキシコシティーの市街地を走っている時もそうだった。

 

 

 ないない尽くしの車両だから、当然のごとく放送設備もない。だから大きな駅が近づくと、車掌がデッキから駅名を怒鳴る。「オリサバ!」

 ここは大きな町で、駅の裏にはやはりビールやジュースの工場がある。もう6時間以上も遅れている。

 オリサバを出ると車掌が検札に来て、「D」と書いたピンクの紙きれを窓枠に差し込んでいった。貸し枕屋も回収に来る。車内のどこかで一晩過ごしたのだろうか。

 

 

 平地が突然切れ込んで100メートルはあろうかという鉄橋を渡った。

 そして停まったのはフォルティンという田舎駅である。ここは標高1,006メートル、メキシコシティーから309.9キロメートル、ベラクルスから114.6キロメートルと表示されている。

 腕木式信号機がある。日本の物は矢羽根のようにカクカクしているが、こちらのものは丸っこくて、どことなくユーモラスだ。

 

 

 8時を回ったとたん、物売りたちがやってくる。一斉にやって来るとは、こんな列車でも何か規則があるのだろうか。

 タルテスというハムサンドと生温かいアロス・コン・レチェ(牛乳に米を入れた飲み物)を買って朝食にする。

 

コルドバ駅

 

 まもなくコルドバに停車する。地下道まである立派な駅である。乗り込んでいた物売りたちが線路を歩いて帰ってゆく。入れ替わりにここからも大量の物売りが乗り込んで、車内はますます賑やかになった。

「カフェ・ソロ!カフェ・ネグロ!」これはコーヒーとわかる。

「テディ・ペスカーロ!」これは何だかわからない。見せてもらうと、魚のフライを挟んだトルティージャであった。

 ビニール袋入りの色付き水も売りにくる。東南アジアでは袋の口をひもで縛って提げられるようにしていたが、ここでは自分で口を縛る。

 ジュースなら「フーゴ・デ・〇〇!」と呼ばわる。オレンジ色のはマンゴーかと思ったらメロンだそうで、もう少し茶色っぽいのは「アグア・タマリンド!」と叫んでいるからタマリンド水だ。タマリンドからは酢も作るそうだからこの方がお腹には良さそうな気がする。

 食べ物、飲み物はともかく、鉛筆やボールペンで売りに来る。わざわざ列車内で文房具を買う人がいるとも思えないが、商売になるから乗り込んでいるのだろう。

 演説を始めるおっさんがいる。売っているのはドリンク剤らしい。

 

 

 いつのまにか標高は213メートルまで下がってきた。草ぶき屋根の家が現れ、だいぶ蒸し暑くなってきた。それとともにトイレの臭いが漂ってくる。トイレに行ってみると、床には液体が溜まっていて、列車の振動に合わせて波打っている。これの何パーセントかは自分の分であるから、まあ許せる。驚いたのは、いざ態勢を整えて扉の框に立ってみると、客席に座っている人と目が合ってしまったのだ。何と、元はゴミ箱があったらしい壁面に、大きな穴が開いているのである。

 子どもを連れた父親がやってきて、さすがに「汚いな」と顔をしかめている。

 

 

 車内のお客を見ると、意外にも子どもや赤ん坊を連れた人が多い。向かいの席にも若い夫婦が赤ん坊を連れて座っている。両親とも子供がかわいくてたまらないといったふうで、頬ずりしたり鼻をつまんだりしている。こんな劣悪な列車でも空間だけは広いので利用しやすいのだろうか。

 

 

 ところで、ドリンク剤売りのおっさんの演説は延々と続いている。ときおり「ビタミーナ」とか「プロパガンダ」とか言っているのが聞き取れる。今、手にしているのは錠剤の様なものだが、売れている気配はない。

 もう昼食の時間だ。車内で買ったタコスを食べる。トルティージャに鶏肉や野菜を自分で挟んで作るのだ。生のトマトや玉ねぎに混じって揚げた唐辛子がある。緑色でししとうのような外観なのでかぶりついてみたら恐ろしく辛い。これだけは食べられなかった。それでもトルティージャは5枚もあるから、お腹がいっぱいになった。

 草地を走り、荒れ地を抜け、漁師が小舟で網を仕掛けるのが見える沼地を通り、風景はますます暑苦しくなってくる。

 

 

 パパロアパンという村に停まる。メキシコらしい名前だなと思う。線路に沿って肉屋、靴屋、玉子とインスタントラーメンの店なんかが並んでいる。

 13時30分、ロマ・ボニータ着。ここはパイナップルが名産なのだろう。子どもたちが切り身やジュースを売り歩いている。ホームにはパイナップルが山積みになっていて、傍には大きな甕にパイナップルジュースが入っている。車掌までそこへ行ってジュースを飲んでいる。

 駅前にはオアハカ行きのバスが停まっており、ホテル・オアハカの看板も見える。オアハカは古代文明で有名な都市だが、内陸部にあってこの路線からはずいぶん離れているように思える。

 それにしても、今は一体どのあたりを走っているのだろう。この列車、走ればそれなりの速度を出すのだが、とにかく駅で長々停まる。それでどんどん遅れが拡大するのだ。

 メキシコの列車はよく遅れる。特にユカタン半島の列車はひどい。珍しく定刻に列車が到着したと思ったら、それは昨日のその時間に着くはずの列車だった・・・そんな話を読んだことがある。どうやら本当の事になりそうだ。

こちらの気持ちとはうらはらに、列車は呑気に進む。陽が傾きかけた頃、草ぶきの家が並ぶ村に停まった。どこからか葦笛の音色が流れてくる。

 

 

 17時05分、列車がスイッチバックして駅に着いた。メディアス・アグアス、太平洋岸に出てグアテマラへとつながる路線の分岐駅である。三角線になっていてどの方向へも列車は行き来できる。ただし、ホームはグアテマラ方にしかないから、ユカタン半島方面の列車が停車したければ、列車の向きを変えるか、この列車のように尻尾からホームに着けるようにするしかない。

 ここでは、アルマジロを抱えた女の子が通路を通った。それはいいのだが、遅れは9時間半にもなってしまった。本来ならこの駅、今朝のうちに通っているはずなのに、もはや夕刻である。テノシケでは一泊して朝6時発のバスに乗りつぐつもりだが、間に合うだろうか。

 

*   *   *

 

 2日目の夜は、前の晩よりさらに悲惨であった。投石で割れた窓ガラスが崩壊してしまったので、昨晩買った防寒着を吊って風よけにした。たった一つの裸電球も点かなくなったかわりに、一晩中遠くに雷が落ちていて車内を照らしていた。

 あまり駅に停まらなかったからか、少し遅れを回復したようだ。

 早朝5時45分、ようやくテノシケにたどり着いた。 

 

<3 国際航路 エル・ナランホ行 に続く>

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