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30代社会人、脊柱側弯症の記録

中1で特発性脊柱側弯症発症。32歳現在、手術を決めましたが悩みに悩んで中止。通院、その時の心境、保存療法(シュロス法、ゲンシンゲン)等について記録します。


 2025年2月6日



 高校卒業以来、実に14年ぶりに市民病院を訪れました。地域の基幹病院でもある市民病院は昔と変わらず大混雑でしたが、リニューアルでかなり綺麗になっていて、カフェやコンビニも出来てとても利用しやすくなっていました。


 以前も予約の時間から長々と待たされていた、ここの整形外科。ひとまず職場には午前休だけ申請してきたものの、昼までに診察が終わるかとそればかりが気がかりでした。

 外来受付を済ませた後、別階でレントゲンを撮ってから大混雑の待合室へ。いつ呼ばれるか全く分からず、呼び出しを聞き逃さないかも心配だったので、ベンチに座ってスマホで脊柱側彎症のことを調べたりしてそわそわと過ごしました。



 平日昼間に大病院に来る機会がなかったため、ここでの待ち時間は新鮮でした。やはり患者の大半は70代以降の高齢者であり、付き添いの家族が甲斐甲斐しく世話をしている光景をあちこちで見かけます。4〜50代の現役世代の息子・娘らしき人が親の車椅子を押しており、仕事や家事をやりくりしながら介護する苦労に思いを馳せました。自分の両親にもいつか介護が必要になるであろうことを考えると、彼・彼女らの姿を他人事とは思えませんでした。


 こちらのベンチの方向に歩いてきた50代後半くらいの女性は、80代の母親の介護に疲れ切っているようでした。母親は軽度の認知症があるようで何度も同じことを訊いては、娘がイライラと強い口調で「何度言ったら分かるの!違うでしょ!?!?」と返します。母親はしゅんとなって、それでも心配事が気になるのか似たような話をまた繰り返していました。


 待合室のベンチは人と人との間隔を空けつつもほぼ満員でした。私が位置をずれればその母娘が並んで座れそうだったためそれとなく移動すると、気づいた母親が「あら、詰めてくださったの。どうもありがとう。ねえ、こちらの方が詰めてくださったよ」と娘に呼びかけました。それまでの憔悴した様子とは違う、品のある口調でした。ずっと険しい顔をしていた娘も少し微笑んで、「ありがとうございます」と隣に座りました。

 張り詰めていた母娘の雰囲気がその一瞬で少し和んだように思えてなんだか嬉しく、自分自身の診察への不安も和らいだような気がしました。



 レントゲンを終えてから約一時間で名前が呼ばれました。医師は私のレントゲンを見るなり、「過去の通院データと比較してもかなり側弯が進んでいますね。脊柱側彎症の診断はとても高度で専門の知識が必要なので、紹介する専門病院へ行ってください」と言われました。


 基幹病院で診られないということは、つまり……。


 手術。


 考えたくなかった可能性が現実味を帯びてきました。私は頭が真っ白になり、ただ「わかりました」と伝えて診察室を後にしました。


 専門病院がなんていう名前なのか、どこにあるのか聞くことも思い至らず、窓口で受け取った紹介状の宛名でやっと知りました。


 A病院。

 県内でも有数の側弯症手術数を誇る、脊椎疾患の専門病院でした。