JET STREAM Skyway Chronicle
国際線就航70年を記念した、スペシャルフライトです。
1954年に国際線が開設され、世界の様々な地域への旅が広がった、1960年代。
そして、ジャイアントパンダ、カンカン・ランランが来日し、空前のパンダブームが巻き起こったのは、1972年の事。
今週は、日本パンダ保護協会名誉会長でもある、黒柳徹子選出のエッセイ集『読むパンダ』から、元・上野動物園園長、中川志郎による「飼育日誌 パンダと暮らした一ヶ月」を、一部編集してお届けします。
今夜は、その第1夜。
中国・北京から日本にやってきた、2匹のパンダ。
これまで、日本で飼育された経験が無いこの動物について、受け入れ先の上野動物園では、試行錯誤の日々が続いていた。
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10月28日のパンダ到着以来、上野動物園全体が一種の興奮状態であったが、特に直接パンダの飼育を受け持つ私たちにとっては、緊張の連続であった。
パンダという動物の珍しさ、動物学上の貴重さもさる事ながら、その背中に背負ってきた、無形だがこの上なく大きなもの、日中友好のシンボルという肩書きが、私たちの緊張を、いやが上にも高めていたのだ。
まずは、2匹のパンダの略歴から、紹介しよう。
カンカン:オス、2歳
1970年、中国は四川省、邛崍(きょうらい)山脈の生まれ。
生後7ヶ月の時に、捕獲隊の手で捕らえられ、以後四川省宝興(ほうしん)にある、臨時飼育場において飼育され、1972年初め、北京動物園に移る。
同年10月28日、東京・上野動物園着。
なお、名前のカンカンは、上野動物園に来るにあたって付けられた、新しい名。
意味は、いつも健康であるように、と健康の「康」が用いられたもの。
ランラン:メス、4歳
1968年、中国は四川省、邛崍山脈の生まれ。
生後2年ほどの時に、捕獲隊の手で捕らえられ、以後宝興臨時飼育場にて飼育され、1972年の10月初め、北京動物園に移る。
カンカンと共に、1972年10月28日、東京着。
ランランは、蘭の花のように、しとやかで美しく、という意味の名前である。
さて、この2匹の動物大使と、これを迎えた飼育係の面々とのいくつかの出来事を、日を追って振り返ってみよう。
[カンカンとランラン]
今思えば、毎日が新鮮な驚きの、連続であった。
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「10月28日 パンダは鳴くという事」
パンダが鳴くか鳴かないか、パンダ来着の数日前まで、新聞やラジオの話題になった。
私は、あまり鳴かないであろう、という派に属した。
というのは1969年、私がロンドン動物園で、ジャイアントパンダのチチを観察した限りでは、ほとんどその鳴き声らしきものを、耳にしなかったからである。
ところが、ある者はワンワンと鳴くと言い、ある者は羊のような鳴き声を出す、と言うのであった。
10月28日、2匹のパンダの来着の夜。
オスのカンカンが、このたわいもない論争に、結論を出した。
深夜12時、電灯を消し、真っ暗になったパンダ舎の中で、ゴソゴソと動き回りながら、カンカンが鳴き出したのである。
クンクン、クンクン、クーン、クン。
それは、親にはぐれた子犬が、寂しさのあまり鳴いているような、そんなトーンであった。
その鳴き声は、ふと止んではまた続き、1時間もの間続いていた。
真っ暗闇の中で、この鳴き声を聞きながら、パンダは鳴くという事を実感し、そしてその鳴き声の愛聴に、何かこの動物に対する愛情が、込み上げてくるのを感じたのである。
ランランは、部屋の隅でひっそりと、まどろんでいた。
【画像出典】