2024/7/29 読むパンダ① | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM Skyway Chronicle


国際線就航70年を記念した、スペシャルフライトです。


1954年に国際線が開設され、世界の様々な地域への旅が広がった、1960年代。


そして、ジャイアントパンダ、カンカン・ランランが来日し、空前のパンダブームが巻き起こったのは、1972年の事。


今週は、日本パンダ保護協会名誉会長でもある、黒柳徹子選出のエッセイ集『読むパンダ』から、元・上野動物園園長、中川志郎による「飼育日誌 パンダと暮らした一ヶ月」を、一部編集してお届けします。


今夜は、その第1夜。



中国・北京から日本にやってきた、2匹のパンダ。


これまで、日本で飼育された経験が無いこの動物について、受け入れ先の上野動物園では、試行錯誤の日々が続いていた。


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10月28日のパンダ到着以来、上野動物園全体が一種の興奮状態であったが、特に直接パンダの飼育を受け持つ私たちにとっては、緊張の連続であった。


パンダという動物の珍しさ、動物学上の貴重さもさる事ながら、その背中に背負ってきた、無形だがこの上なく大きなもの、日中友好のシンボルという肩書きが、私たちの緊張を、いやが上にも高めていたのだ。


まずは、2匹のパンダの略歴から、紹介しよう。


カンカン:オス、2歳


1970年、中国は四川省、邛崍(きょうらい)山脈の生まれ。


生後7ヶ月の時に、捕獲隊の手で捕らえられ、以後四川省宝興(ほうしん)にある、臨時飼育場において飼育され、1972年初め、北京動物園に移る。


同年10月28日、東京・上野動物園着。


なお、名前のカンカンは、上野動物園に来るにあたって付けられた、新しい名。


意味は、いつも健康であるように、と健康の「康」が用いられたもの。


ランラン:メス、4歳


1968年、中国は四川省、邛崍山脈の生まれ。


生後2年ほどの時に、捕獲隊の手で捕らえられ、以後宝興臨時飼育場にて飼育され、1972年の10月初め、北京動物園に移る。


カンカンと共に、1972年10月28日、東京着。


ランランは、蘭の花のように、しとやかで美しく、という意味の名前である。


さて、この2匹の動物大使と、これを迎えた飼育係の面々とのいくつかの出来事を、日を追って振り返ってみよう。



カンカンとランラン]


今思えば、毎日が新鮮な驚きの、連続であった。


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「10月28日 パンダは鳴くという事」


パンダが鳴くか鳴かないか、パンダ来着の数日前まで、新聞やラジオの話題になった。


私は、あまり鳴かないであろう、という派に属した。


というのは1969年、私がロンドン動物園で、ジャイアントパンダのチチを観察した限りでは、ほとんどその鳴き声らしきものを、耳にしなかったからである。


ところが、ある者はワンワンと鳴くと言い、ある者は羊のような鳴き声を出す、と言うのであった。


10月28日、2匹のパンダの来着の夜。


オスのカンカンが、このたわいもない論争に、結論を出した。


深夜12時、電灯を消し、真っ暗になったパンダ舎の中で、ゴソゴソと動き回りながら、カンカンが鳴き出したのである。


クンクン、クンクン、クーン、クン。


それは、親にはぐれた子犬が、寂しさのあまり鳴いているような、そんなトーンであった。


その鳴き声は、ふと止んではまた続き、1時間もの間続いていた。


真っ暗闇の中で、この鳴き声を聞きながら、パンダは鳴くという事を実感し、そしてその鳴き声の愛聴に、何かこの動物に対する愛情が、込み上げてくるのを感じたのである。


ランランは、部屋の隅でひっそりと、まどろんでいた。


【画像出典】