2024/5/7 遠い太鼓② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「アテネ」の章を番組用に編集してお届けしています。


今夜は、その第2夜。


日本を離れ、長い旅に出た村上春樹は、1980年代後半、ギリシャで暮らした。


現地での家探しは、バレンティナという名の、賑やかな女性の世話になる事になった。


執筆のために、静かな住まいを求めていた作家は、彼女からスペッツェス島のサマーハウスを、薦められる。


海からの風、バレンティナとの生き生きとした会話。


家探しは、まだ始まったばかりだ。


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「ドミトリが、あなたの事を、日本のとても有名な作家だって言ってたけれど、それ本当なの?」


と、バレンティナは僕に質問する。


簡単な挨拶と、天候についての世間話が一応終わった後で、幾分疑わしそうに、彼女はそう切り出す。


ドミトリは、僕に彼女の名を教えてくれた、東京在住のギリシャ人である。


どうもドミトリから彼女への情報伝達に、誤解なり情緒的混乱なりがあったようで、彼女は僕の事を、どうやら谷崎とか三島とかいったタイプの、反古典的文豪であると、予想していたらしい。


そういうところに、僕が色褪せたポロシャツと汚いジーンズという、いつもの格好でのそっと現れたので、彼女としても、いささか拍子抜けしてしまったらしい。


それについては、僕としても、別に僕のせいというのではないのだけれど、全く申し訳ないと思う。


「実は私も、詩を書いているのよ」


と、バレンティナは言う。


「そうなんですか?


それは知らなかったな。


ドミトリが、教えてくれなかったものですから」


「あなた、詩は書く?」


「書いた事ありません、残念ながら」


うんうんと、彼女は頷く。


「ギリシャは、詩がとても盛んな国なのよ。


小説よりも、詩の方が盛んなくらいよ。


これはもう歴史的なものであって、ねえ、あなたは、ギリシャ人がノーベル文学賞を2回も取っている事、ご存知かしら?」


「いや、知らなかったですね」


と、僕は恐縮して言う。


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「えーっと、それで、家のお話だったわね?


あなた、家を探してらっしゃるのよね?」


「そうです。


家を探しているんです」


ようやく話が本題に入る。


そう、我々は、ギリシャで住むべき家を探しているのだ。


僕は、求める家の、おおまかな条件を提示する。


1. 2ベッドルーム


2. キッチンとバスが付いている事


3. 家具付きである事


4. 静かな事。仕事をするから


大体、そういうところである。


「そうねぇ」


と、バレンティナはしばらく考え込む。


ボールペンを、手の中でクルクルと回す。


「静かで、ベッドルームが2つあって。


うん、そうだ。


スペッツェスって島はどうかしら?


スペッツェスになら、私の知っている人のサマーハウスがあるんだけれどね。


スペッツェスって、ご存知?」


スペッツェスなら、一応知っている。


実際に行った事は無いけれど、イドラのすぐ近くにある島である。


[スペッツェス島]


イドラには、何度か行った事がある。


大きさとしても手頃だし、ピレエフスからの船の便もいい。


おまけに、イドラみたいに、1時間おきにクルーズ船がバタバタやってきたりしないから、それほど観光客にスポイルされてもいないはずである。


アテネ在住のギリシャ人が、サマーハウスを持っていて、夏の週末にちょっと遊びに行くような、島である。


雰囲気としては、悪くないはずだ。


【画像出典】