2024/5/3 鯨井あめ書き下ろし⑤ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。

今週は、作家・鯨井あめ書き下ろしの物語『世界の果ての焚火』を、5日間に渡ってお送りしています。

今夜はその最終夜。

25年前、世界の果てと言われる町、ウシュアイアを訪れた男。

父を亡くし、就職活動に疲れ、都会の喧騒から離れたいと行き着いたこの土地で目にしたのは、浜辺で焚き火を前に、独り静かに座るヤマナ族の老婆の姿だった。

そして今、再びこの地に降り立った彼は、その老婆の孫ルッカから、話を聞いていた。


老婆の墓は、無かった。

火葬して、遺灰を海に撒いたそうだ。

祖父と同じ場所へ行ったのだと、浜辺で薪に火を起こしながら、ルッカは言った。

静かな波の音がしていた。

焚き火は、ヤマナ族にとって、大切なものだそうだ。

遊民であったヤマナ族は、カヌーで入り江を行き来して、海に潜り、狩猟採集を行っていた。

夏でも気温が20℃を下回るこの地では、炎が重要な熱源だった。

ウシュアイアのあるフエゴ島を含む諸島は、スペイン語で火の土地を意味する。

[フエゴ島]

かつてこの地を訪れたマゼランは、島から立ち昇る煙を見て、火の無い所に煙は立たぬからと、ここを火の土地と呼んだらしい。

浜辺に小さな火が焚かれ、私は礼を伝えた。

ルッカは、老婆から私の話を聞いていた。

しかし、年越しの瞬間に現れた異国の若者の存在が、御伽話じみていたので、長らく老婆が見た夢の話だと、思っていた。

当事者の老婆自身も、

「あれは、夢だったのかも」

と、言っていたらしい。

ルッカは、

「次は、僕があなたを訪ねる」

と言った。

「いつになるか分からないけど、日本食にも興味があるよ」

と。

私は尋ねた。

「会えますかね?」

「会えるとも。

お互い、先を危ぶむ歳でもないだろう?」

ルッカは片膝をついて、火に小枝をくべた。

そして、私を見上げた。

「心配事でも?」


私の父は、52歳で亡くなった。

心臓の病だった。

父方の祖父も、50代前半で亡くなった。

心臓の病で。

私はもうすぐ、50歳になる。

それを聞いたルッカは、眉根を寄せて、

「それはまた、気になるだろうね」

と言った。

25年前、この地を訪れた私は、密かな変化を望んでいた。

好転の兆しが見えない現実と、先の見通し辛い将来に対する、やっつけのようなものだった。

今、私が望むものは、その真逆である。

安定した、日々だ。

かつてここで焚き火を眺めていた彼女は、突然の夫の死によって、変化への恐怖心を抱き、大きな節目を越えてすぐ、亡くなった。

死というものは、いつか訪れる、人間にとって耐え難い変化だ。

死ぬ事は、恐ろしい。

私は言った。

「それでも、生きていく」

膝をついたまま、ルッカが言った。

「こうやって、温もりを求めながら、日々は続く。

だからきっと、僕らはまた会える。

体は、老いる一方だがね」

ルッカは立ち上がり、

「気が済むまで、ごゆっくり」

と、先に店内に戻った。

私はレンタカーショップに連絡を入れて、スマホをしまった。

炎に両手をかざして、正面に広がる景色に、息を吐く。

日々は、続く。

続いていく。

変わりながら、留まりながら。

大きな変化は、実に恐ろしい。

しかし、細やかな温もりがあれば、流れる時間が運んでくる不安にも、耐えられるのかもしれない。

向こう岸に連なる山々は白化粧を被り、青空に雲は流れ、波はチャプチャプと遊んでいる。

海面はほのかに白く煌めき、風は冷たく、空気も冷たく、しかし今、焚き火が私を温める。

明るい空の下で。

年越しの最中、炎を見つめる彼女の横顔を思い出す。

木の爆ぜる細かな音。

2つの言語で紡がれた言葉。

聞き取れなかったもの。

聞き取れたもの。

あの時もまた、焚き火が私を温めた。

暗い空の下で。

目を閉じれば、私の瞼の裏には、2つの焚き火が息づいている。


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