JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、作家・鯨井あめ書き下ろしの物語『世界の果ての焚火』を、5日間に渡ってお送りしています。
今夜はその第3夜。
西暦が大きく変わる、25年前の大晦日。
父を亡くし、就職活動に疲れた青年は、自分探しの旅に出た。
世界の果てと言われる町、ウシュアイアの浜辺で、一人の老婆と、焚き火越しに過ごした年越しの瞬間。
それはまるで夢のような、不思議な感覚の記憶だった。
今や、50歳を迎えようとしていた男は、再びその土地に降り立った。
ウシュアイアの街の素朴さは、変わっていなかった。
建物はほとんどが平屋建てか2階建てと、上方向に視界が開けている。
しかし街の後方には、切り立った壁のような雪山の峰が迫り、ここがパタゴニアの南端、世界の果てである事を感じさせた。
[ウシュアイア]
レンタカーを借りた私は街を出て、スマホの地図アプリを参考に、当時の道順を巡ってみた。
老婆が火を焚いていたのは、どこだったのか。
幸い、最初に訪れた入り江の場所は、覚えていた。
その後、車を停めた場所も、現地に来た途端思い出した。
エンジンを切って、地図アプリを眺める。
あの時私は、浜辺を1時間半ほど歩いていたのだから、目的地はおおよそここら辺だろう、と地図にピンを刺した。
老婆に再会できるとは、思っていない。
ただ、私がこの地を踏むのは、これが最後になるかもしれない。
であれば、2つの気がかりを、解消したかった。
1つは、年を越した直後、彼女が告げた言葉だ。
その音の響きを、私は忘れてしまった。
彼女が、
「グラシアス」
と言い直したのだから、最初に告げた言葉も、きっとお礼だったのだろう。
しかし、グラシアスとは完全に異なる響きだった。
あれは、何だったのだろうか?
しかし私自身が、その音を覚えていないので、調べようもなかった。
そして2つ目。
彼女はなぜ、お礼を告げたのか?
焚き火の熱をお裾分けされて、マテ茶をご馳走されたのは、私だ。
私が感謝を述べるなら、道理が通っている。
彼女のグラシアスは、何に対するお礼だったのだろうか?
あの年越しは、やはり夢だったのかもしれない。
私は車を降りて、海岸に出た。
今日は、よく晴れていた。
風は冷たいが、心地よい。
当時は気付かなかったが、私が歩いた海岸周辺は、小島の密集したエリアだったようだ。
なだらかな丘が入り江に点在している。
その間を埋める、深い藍色のような海面は絶えず波打ち、日光を受けて優しく光りながら蠢いている。
景色を楽しみながら歩いていた私は、ふと立ち止まる。
浜辺の側に、一軒の木造家屋があった。
おそらく1階建て。
様相は比較的新しい。
急勾配の屋根と、高めの基礎。
脇に停まる、1台のオフロード車。
人の気配がある。
そして、建物の前の浜辺に、焚き火の跡があった。
まさか。
呆然と立ち尽くしていると、その建物の窓にかかっていた、カーテンが動いた。
中から誰かが、私を一瞥する。
建物のドアが開いた。
私と歳の変わらない男性が半身を覗かせ、ドアノブを掴んだまま、スペイン語で休業日だよと告げた。
私は尋ねた。
「休業日?
お店ですか?」
「レストランだ」
と、快活に答えた男性は、
「散歩?
迷子?」
と、気さくな口調で、外に出てきた。
「25年前に、」
と、言葉が私の口を突いて出た。
「お婆さんと、年を越したんです。
焚き火を囲んで、二人きりで。
それで、その場所を探していて」
男性は驚き、
「何だって?」
と、私を見つめる。
私は繰り返した。
「25年前に、ここでお婆さんと焚き火を囲んで、年を越しました」
男性は、笑った。
そして、片手を差し出した。
「何て事だ。
僕は、ルッカ・ロメロ。
あなたが会った、婆さんの孫だよ」
【画像出典】
https://www.getyourguide.jp/ushiyuaia-l1851/ri-gui-rilu-xing-tc360/bigurushui-dao-tl109817/