JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、自然写真家 高砂淳二によるフォトエッセイ『光と虹と神話』より、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第2夜。
巨大な石の文明が生まれた絶海の孤島へ、あなたをお連れします。
番組WEBサイトの、高砂淳二の写真と共に、お楽しみください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
チリのサンティアゴから、3700キロ。
タヒチから4000キロと、太平洋に浮かぶ正真正銘の絶海の孤島、イースター島。
ご存知のように、モアイの立ち並ぶ島である。
[モアイ]
島には4000人ほどが暮らしているが、そのほとんどがハンガロアという町の周辺に住んでいて、他の場所にはモアイが点在するのみ。
800年ほど前に、カヌーに乗って渡ってきたポリネシア人が定住し、ラパヌイ人になったと言われる。
イースター島は、ポリネシア語で"広い大地"を意味するラパヌイ、という名で呼ばれている。
島の多くは謎に包まれており、事実として分かっているのは、モアイの大きさは3.5メートルから20メートルほど。
重さは、20トンから30トンほどである事。
1000体近いモアイの採石場は、ほぼ1ヶ所で、モアイはそこから島中に運ばれた事。
モアイを造った時代、島にはラパヌイ人しかいなかった事。
18世紀以降、モアイは造られなくなり、その後全て倒されていった事。
モアイを造っていた当時、島は巨大なヤシの木に覆われていたが、その後樹木の無い島に変容してしまった事。
そして、ラパヌイ人は1877年には、110人ほどになってしまった事、などである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イースター島のモアイは、18世紀以降造られなくなり、巨大なヤシの木に覆われていた島は、その後樹木の無い島に変わり果て、1877年には、ラパヌイ人は110人ほどに減った。
人口減少に関しては、人口爆発と、モアイを造って運ぶための木材の大量伐採で森林が失われ、土地が痩せて食料不足に陥り、部族間で争いが起こって人口が激減した、と言われてきた。
しかし最近の研究で、当時の石器に殺傷能力は無く、武力闘争まであったかどうかは怪しいとされ、森林の伐採や環境破壊はあったかもしれないが、それにより文明の崩壊や人口の激減が起こったのではなく、西洋人がやってきて、島民の多くを奴隷として連れ出した事や、彼らによって持ち込まれた天然痘が、島民を襲った事が主な原因だという説が、有力になっている。
ただ、何のためにモアイを造ったか。
巨大モアイを、本当にラパヌイ人たちが長い道のりを運び、それらを立ち上がらせたのか。
それらは、どうして全て、倒されたのか。
どうして、巨大ヤシの森林が無くなってしまったかなどは、人口激減により言い伝えが途絶え、資料がほぼ消失してしまった事もあって、謎のままだ。
初めて夜のモアイを見た時、彼らが懐かしいような悲しげな表情で、宇宙を見上げている表情が、妙に印象的だった。
モアイたちは、ただの石像とは思えない、不思議な魅力を持っている。
彼らは、人間の増減や森の変容などをじっと見続けてきて、一体何を思い、そして夜空に何を見ているのだろうか?
【画像出典】