2024/4/16 光と虹と神話② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、自然写真家 高砂淳二によるフォトエッセイ『光と虹と神話』より、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第2夜。


巨大な石の文明が生まれた絶海の孤島へ、あなたをお連れします。


番組WEBサイトの、高砂淳二の写真と共に、お楽しみください。


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チリのサンティアゴから、3700キロ。


タヒチから4000キロと、太平洋に浮かぶ正真正銘の絶海の孤島、イースター島。


ご存知のように、モアイの立ち並ぶ島である。


[モアイ]


島には4000人ほどが暮らしているが、そのほとんどがハンガロアという町の周辺に住んでいて、他の場所にはモアイが点在するのみ。


800年ほど前に、カヌーに乗って渡ってきたポリネシア人が定住し、ラパヌイ人になったと言われる。


イースター島は、ポリネシア語で"広い大地"を意味するラパヌイ、という名で呼ばれている。


島の多くは謎に包まれており、事実として分かっているのは、モアイの大きさは3.5メートルから20メートルほど。


重さは、20トンから30トンほどである事。


1000体近いモアイの採石場は、ほぼ1ヶ所で、モアイはそこから島中に運ばれた事。


モアイを造った時代、島にはラパヌイ人しかいなかった事。


18世紀以降、モアイは造られなくなり、その後全て倒されていった事。


モアイを造っていた当時、島は巨大なヤシの木に覆われていたが、その後樹木の無い島に変容してしまった事。


そして、ラパヌイ人は1877年には、110人ほどになってしまった事、などである。


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イースター島のモアイは、18世紀以降造られなくなり、巨大なヤシの木に覆われていた島は、その後樹木の無い島に変わり果て、1877年には、ラパヌイ人は110人ほどに減った。


人口減少に関しては、人口爆発と、モアイを造って運ぶための木材の大量伐採で森林が失われ、土地が痩せて食料不足に陥り、部族間で争いが起こって人口が激減した、と言われてきた。


しかし最近の研究で、当時の石器に殺傷能力は無く、武力闘争まであったかどうかは怪しいとされ、森林の伐採や環境破壊はあったかもしれないが、それにより文明の崩壊や人口の激減が起こったのではなく、西洋人がやってきて、島民の多くを奴隷として連れ出した事や、彼らによって持ち込まれた天然痘が、島民を襲った事が主な原因だという説が、有力になっている。


ただ、何のためにモアイを造ったか。


巨大モアイを、本当にラパヌイ人たちが長い道のりを運び、それらを立ち上がらせたのか。


それらは、どうして全て、倒されたのか。


どうして、巨大ヤシの森林が無くなってしまったかなどは、人口激減により言い伝えが途絶え、資料がほぼ消失してしまった事もあって、謎のままだ。


初めて夜のモアイを見た時、彼らが懐かしいような悲しげな表情で、宇宙を見上げている表情が、妙に印象的だった。


モアイたちは、ただの石像とは思えない、不思議な魅力を持っている。


彼らは、人間の増減や森の変容などをじっと見続けてきて、一体何を思い、そして夜空に何を見ているのだろうか?


【画像出典】