JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、嘉山正太のエッセイ集『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー 妖精とワニと、移民にギャング』より、「星のない東京から、星だらけのアタカマ砂漠へ_チリ」を、番組用に編集してお届けしています。
今夜はその最終夜。
嘉山正太は、1983年生まれ。
東京のテレビ制作会社で働いた後、2008年メキシコに移住。
現在は撮影コーディネーターとして、活動している。
チリで、星と光にまつわる取材を終えて、嘉山が到達した思いとは?
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僕は、アルマ天文台を訪れた後で、ペドロさんの話を聞き、点と点が繋がったように感じた。
僕が、東京で星を見る事ができなかったのは、明るい街の光のせいだったのかも、と思った。
そして、その明るさ・暗さというのは、もしかしたら光の事だけではないのかもしれない。
ラテンアメリカで暮らしていると、日々の生活の中で、よく不自由にぶち当たる。
欲しい物は結構苦労して、なんとか手に入れる。
だから、手に入れる事ができた一つ一つの物は、かけがえがない。
だからこそ、こちらに移り住んで、僕は本当に自分がやりたかった事、できる事が、見つかったと思う。
制限が多いからこそ、周りが暗いからこそ、自分の星を見つける事ができたのだ。
今振り返ってみれば、東京で働いていた時、東京の何でもできるけど自分の力では何もできた感じがしない環境で、いつの間にか周りの明るさに気を取られて、星を見失っていたのだろう。
もちろん、若さもあった。
でもその若さも、実は本当の星を見えにくくする、明るい光だったりもする。
今になると、少しその事が分かる。
一方で、ラテンアメリカのその薄暗さが、遠くの星を映し出しつつも、近くの惨状を見えづらくする事も、忘れてはいけない。
それは、今回の撮影後に見た、『光のノスタルジア』で実感させられた。
その映画の中で、僕らが辿った天体観測所と同じ場所が、沢山出てくる。
そして、あのからっからに乾いたアタカマ砂漠で、軍事政権によって殺された、家族の遺体を探す人々も、登場する。
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広大な砂漠を歩き、家族の姿を、その声を探す。
ドキュメンタリー映画『光のノスタルジア』では、天空を見上げ星空を見つめる作業と、地中を見つめて、歴史を掘り起こす作業が同居する場所として、アタカマ砂漠が描かれている。
[アタカマ砂漠]
天体観測も、実は歴史を見る作業である。
なぜなら、僕らは現在の星の光を見る事は、できないからだ。
それらは、全て過去の光である。
そして、チリの人々は天空の歴史と、過去の悲しみを見つめながら、生きている。
僕らの光も、ずっとそこにあるけれど、過去から辿り着いたものだという事を、映画は示唆してくれる。
東京で見えなかった僕の星は、ラテンアメリカで、突然現れた訳ではなかった。
いつもそこにあったし、これからもそこにあり続けるのだ。
星を眺めるのは、とても孤独で、静かな作業である。
この時の取材で、僕らは孤独に耐えうる、しなやかな魂を持つ人々に出会った。
声無き声に、耳を傾けようとする人々。
果てしない忍耐と、微かな希望だけを胸に秘めて。
その姿は孤独ではあったが、孤立してるようには、見えなかった。
孤独を恐れずに、孤立をせず。
僕らも、そんな仕事ができているだろうか?
【画像出典】