『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、女優、中谷美紀のエッセイ『オーストリア滞在記』を、一部編集してお送りしています。
今夜は、その最終夜。
「5月2日 ガーデニング哲学」の、3回目。
園芸専門店ザラストロで、オーナーのクレス氏の哲学に共感。
大量の苗を購入した中谷と、夫のティロ。
二人は早速庭造りに、取り掛かる。
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数々の園芸誌に寄稿し、ヨーロッパの園芸界ではその名を知らぬ人はいないという、クリスティアン・クレス氏の著書に、『ブラックボックス・ガーデニング』がある。
[クリスティアン・クレス]
興奮気味に大人買いをした私たちに、プレゼントしてくれたその本のページを、早速めくってみると、共著の園芸エディターの言葉で、
「春の訪れを急ぐかのように植えつけられる開花した花。
花期が終わるなり、破棄される植物。
自動芝刈り機で、2センチに整えられた芝生。
雑草を制するための、コンクリートや石のパネル。
庭に据えられた陳腐な仏像などが、現代の庭を殺している」
と書かれた前書きが、私たちの理想とするガーデニング哲学と相似しており、思わず笑ってしまった。
ブラックボックス・ガーデニングとは、多年草や宿根草のみならず、一年草、二年草をあえて組み合わせ、風に任せて種が庭のどこかに落ち、予想外の場所から実生で芽吹くのを楽しむガーデニングのスタイルだそうで、多くの方々が求める、伝統的で正しいガーデニングとは真逆の、植物の生命力を信じ、多様性を受け入れるガーデニングスタイルなのだという。
それはジル・クレマンの、荒れ地にすら愛しい眼差しを向ける、動いている庭の概念とも重なる。
[ジル・クレマン]
人間のエゴで自然を制するのではなく、多少の手は入れつつも、自然に逆らわずあるがままを受け入れる考え方は、人間の生き方にすら深い示唆を与えてくれる。
抜いても抜いても、果てしなく生えてくる雑草と戦うのではなく、いくつかの本当に不要な雑草のみを抜き取り、雑草とて美しいものは残して共存の道を探るという、選択的除草という考え方も、広義には同じ潮流なのだろう。
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午前9時から、12時の閉店ギリギリまで、丸々3時間。
いつまでも飽きる事なく植物を眺め、午後は斜面に食らいつく庭師ティロの、不毛の地における開拓民並みの過酷な奮闘を、見守る。
しぶといグラスの根と、硬い石の山が作業を阻み、彼の体に負担をかけるのだけれど、ひとたび何かに取り組むと、休む間も無く集中して取り組む彼に、私の制止など役に立たぬ事は、この数年で学んだ。
3000メートル級の雪山に一人分け入り、スキーで滑り降りてきたり、ロードバイクで7時間のツアーに出たりと、常人の想像が及ばない事を、平気でやってのける人間だからこそ、国立歌劇場管弦楽団やウィーン・フィルの一員として、過密なスケジュールにも、音を上げる事なく演奏し続ける事ができるのだろう。
いかに辛かろうと、彼の好きにさせるのが、何よりいいのだ。
夫の苦行を傍目に、私は陰生植物を木陰に植えつけ、美しい植物たちの姿を眺めて、愉悦に浸る。
夕食は、冷蔵庫の有り合わせにて。
モロッコインゲンを茹でて、ゲランドの塩とブラックペッパー、オリーブオイルと胡麻で和えてみた。
庭から摘み取ったサラダ菜には、鮎の魚醤とココナッツシュガー。
ライムで味をつけた挽肉の、タイ風ラープムー・サラダを合わせて。
メインのパスタは、蕎麦粉のフジッリを、鶏もも肉のトマトソースで。
ハーブガーデンから、フレッシュなオレガノを添えて。
コロナ禍で、鬱屈とした日々を送っていたものの、久々に良い一日だったと思う。
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