JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、生物学者 福岡伸一の紀行エッセイ『生命海流 GALAPAGOS』を、番組用に編集してお届けします。
今夜はその第1夜。
生物学者、福岡伸一。
昆虫を追って野山を巡った少年は、生命の不思議に心を奪われ、やがて生物学者となった。
そして、生命の神秘を伝えるために、ナチュラリストとして、魅力的な文章を書き続けている。
福岡伸一の夢は、南太平洋に浮かぶガラパゴス諸島を、チャールズ・ダーウィンの航路と同じように、旅する事だった。
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ガラパゴスに、行きたい。
これは、ナチュラリストとしての、長年の夢だった。
プロの研究家も、アマチュアバードウォッチャーも、7歳の虫好きの少年も、みんなナチュラリストである、という点では同じ。
そして彼らは、等しく願う。
生涯一度でいいから、絶海の果てに位置するガラパゴス諸島に行って、溶岩と巨石に覆われ、絶えず波に洗われる岩壁に生息する、独自の進化を遂げた奇跡的な生物を、実際にこの目で見てみたいと。
ずっと昔から、そう願ってきた。
とはいえ、私の夢はもう少し、手が込んでいた。
ただ観光客として、ガラパゴスを見に行くのではない。
今を去る事、200年近くも前の秋。
遥かな航海の果てにこの群島に辿り着き、ここを探検したビーグル号と同じ経路を辿って、島が見たかった。
ビーグル号には、かのチャールズ・ダーウィンが乗っていた。
後に進化論を打ち立てて、生命史に革命をもたらした人物。
しかし、そんな事はできるはずがない。
ビーグル号の正式名称は、ハー・マジェスティーズシップ・ビーグル。
つまり、女王陛下の船だった。
全長27.5メートル、排水量242トン。
実戦が可能な大砲6門を搭載。
英国精鋭の軍人74名の船員が乗船する、本格的な軍艦だった。
[ビーグル号]
当然、装備も資材も豊富に積まれていた。
だからこそ、自由自在な航路を、取れたのだ。
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当時、ダーウィンはまだ22歳。
船長フィッツロイのコネで、たまたま随行を許された、民間の客人だった。
生物学に興味を持っていたとはいえ、後になって種の起源として結実する進化論の構想は、何一つとして彼の心の中に、準備されてはいなかった。
一口にガラパゴスと言っても、そこは大小様々な島や岩礁が散在する群島である。
名前の付いている島は、全部で123の島。
主要な島だけでも13あると言われており、それがおよそ関東地方くらいの広い範囲に分布している。
ダーウィンの乗ったビーグル号は、1835年9月15日に、ガラパゴス海域東端のサン・クリストバル島に到着した。
その後およそ1ヶ月かけて、数少ない水源のある島フロレアナ島、6つの火山を擁するガラパゴス最大の島イサベラ島、イサベラ島と今も火山活動が激しい島フェルナンディナ島の間の、狭い海峡をくぐり抜けて、赤道を超えサンティアゴ島などに寄港し、調査と測量を行い、1835年10月20日、次の調査地であるタヒチ島に向けて、太平洋を西に進んだ。
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