2024/1/10 この道をどこまでも行くんだ③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

『JET STREAM』


作家が描く世界への旅。


今週は、作家、椎名誠のエッセイ『この道をどこまでも行くんだ』をお送りしています。


今夜はその第3夜。


「異次元」の章から、「マイナス40℃世界での生活」。


シベリア北東部、現在のサハ共和国の都市、ヤクーツクのオイミャコン。


人が住んでいる、世界一寒い地域の生活とは?


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シベリアの冬を、2ヶ月ほど放浪していた。


この地の冬は本当に寒く、顔を空中に出しておくと、10分ぐらいで顔面全部が凍結し、特に鼻が最初にやられる事が、何度もあった。


零下40℃はあった。


この時、僕は40歳。


地球の至る所を好奇心だけで旅しており、世界で一番寒いエリア、オイミャコン郡を過ぎたところだった。


オイミャコンは、人の住んでいる所では、世界最極寒地帯だ。



[オイミャコン]


ちなみに当時、地球で一番寒い所は、南極の零下82℃だった。


この時、色々世話をしてくれたのは、極北の遊牧民の住居、ユルタの人たちだった。


[ユルタ]


ロシア語の「さようなら(ダスヴィダーニャ)」ぐらいしか、ロシア語を喋る事はできなかったが、彼らとの交流はいい思い出だ。


彼らと会ったのは、ヤクーツク、今のサハであった。


地球最北の、遊牧民の地だ。


場所は、レナ川の川岸。


と言っても、川は全面凍結していたから、どこからどこまでが川で、河原はどこまでかは、まるで分からなかった。


レナ川は、全長4400キロ。


凍結期が終わると、北極海に向かって流れる。


しかし、僕が行った時期は、上流から河口まで、全部カチンカチンに凍っていた。


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その地で聞いた話だが、レナ川には橋が1つも無いという。


川が見えないので、どのくらいの幅があるのか分からなかったが、少なくとも300メートルはありそうだった。


そのくらい幅のある川の橋だと、いくつもの橋脚を建てなければならない。


でも、春が来ると、川の氷が溶けてどんどん流れていく。


その巨大な氷塊が橋脚に次々にぶつかり、橋そのものを破壊していくから、よほど大きな吊り橋でも作らない限り、無理だという。


対岸との交通は、こうした厳寒期に、凍った川の上を歩いていくのだそうだ。


川の上の氷を、ブルドーザーなどを何度も走らせ、平らにして、車を走らせるようだ。


こういう極限の寒さの中で、ユルタの人たちは、馬やトナカイの放牧をしていた。


仕事着は、熊の毛皮とフェルトの帽子だ。


呼吸をすると、吐く息が顔面の表層に上がっていく。


それは、帽子や帽子から飛び出ている毛髪などに、全部付着し氷結する。


どの人もそうだった。


もちろん、我々もそのようになっていた。


[氷結]


喋ると、新たな息が顔面を凍らせていく。


襟巻きで口まで覆っておかないと、顔面が凍傷になりやすくなる。


凍傷は、大分進んでからでないと、自覚症状が無いので怖い。


時々、互いに顔を見て、白蝋化していると注意し合う。


すぐに摩擦して、血流を促さなければならない。


何もかも、異次元の世界だった。


【画像出典】