『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家、椎名誠のエッセイ『この道をどこまでも行くんだ』をお送りしています。
今夜はその第3夜。
「異次元」の章から、「マイナス40℃世界での生活」。
シベリア北東部、現在のサハ共和国の都市、ヤクーツクのオイミャコン。
人が住んでいる、世界一寒い地域の生活とは?
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シベリアの冬を、2ヶ月ほど放浪していた。
この地の冬は本当に寒く、顔を空中に出しておくと、10分ぐらいで顔面全部が凍結し、特に鼻が最初にやられる事が、何度もあった。
零下40℃はあった。
この時、僕は40歳。
地球の至る所を好奇心だけで旅しており、世界で一番寒いエリア、オイミャコン郡を過ぎたところだった。
オイミャコンは、人の住んでいる所では、世界最極寒地帯だ。
ちなみに当時、地球で一番寒い所は、南極の零下82℃だった。
この時、色々世話をしてくれたのは、極北の遊牧民の住居、ユルタの人たちだった。
[ユルタ]
ロシア語の「さようなら(ダスヴィダーニャ)」ぐらいしか、ロシア語を喋る事はできなかったが、彼らとの交流はいい思い出だ。
彼らと会ったのは、ヤクーツク、今のサハであった。
地球最北の、遊牧民の地だ。
場所は、レナ川の川岸。
と言っても、川は全面凍結していたから、どこからどこまでが川で、河原はどこまでかは、まるで分からなかった。
レナ川は、全長4400キロ。
凍結期が終わると、北極海に向かって流れる。
しかし、僕が行った時期は、上流から河口まで、全部カチンカチンに凍っていた。
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その地で聞いた話だが、レナ川には橋が1つも無いという。
川が見えないので、どのくらいの幅があるのか分からなかったが、少なくとも300メートルはありそうだった。
そのくらい幅のある川の橋だと、いくつもの橋脚を建てなければならない。
でも、春が来ると、川の氷が溶けてどんどん流れていく。
その巨大な氷塊が橋脚に次々にぶつかり、橋そのものを破壊していくから、よほど大きな吊り橋でも作らない限り、無理だという。
対岸との交通は、こうした厳寒期に、凍った川の上を歩いていくのだそうだ。
川の上の氷を、ブルドーザーなどを何度も走らせ、平らにして、車を走らせるようだ。
こういう極限の寒さの中で、ユルタの人たちは、馬やトナカイの放牧をしていた。
仕事着は、熊の毛皮とフェルトの帽子だ。
呼吸をすると、吐く息が顔面の表層に上がっていく。
それは、帽子や帽子から飛び出ている毛髪などに、全部付着し氷結する。
どの人もそうだった。
もちろん、我々もそのようになっていた。
[氷結]
喋ると、新たな息が顔面を凍らせていく。
襟巻きで口まで覆っておかないと、顔面が凍傷になりやすくなる。
凍傷は、大分進んでからでないと、自覚症状が無いので怖い。
時々、互いに顔を見て、白蝋化していると注意し合う。
すぐに摩擦して、血流を促さなければならない。
何もかも、異次元の世界だった。
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