『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第2章を番組用に編集してお届けしています。
今夜はその第2夜。
走る事を決意した小説家は、初めて5キロのロードレースに出場した。
春には15キロを走り、フルマラソンを走るために、皇居の周りも走り始めた。
食事を変え、酒の量を控え、体は少しずつ、ランナーらしくなっていく。
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今にして思えば、何よりも幸運だったのは、僕が丈夫な体に生まれてきた事だった。
ほとんど四半世紀に渡って日常的に走り続け、数多くのレースにも出場している訳だが、足が痛くて走れなかったという時期が、一度として無かった。
ストレッチなんてろくにやらないのだが、故障1つ、怪我1つ、病気1つした事がない。
優れたランナーでは全くないけれど、丈夫なランナーである事だけは間違いない。
僕が誇りにできる、数少ない自己資質の一つである。
年が明け、1983年になって、生まれて初めてロードレースというものに出場した。
5キロの短いものだったが、ゼッケンを着けて沢山の人に混じって、ヨーイドンで走ってみて、結構走れるじゃないか、という感触を持った。
5月には、山中湖で15キロのレースを走り、6月には、どれくらい長い距離を走れるものか、試してみようと思って、一人で皇居の周りをグルグル走ってみた。
[皇居]
7周(35キロ)を、まずまずのペースで走って、それほどの苦痛は感じなかった。
足も全く痛くない。
「これなら、フルマラソンだって走れるかな?」
と、僕は思った。
フルマラソンの最も苦痛に満ちた部分は、35キロを過ぎてからやってくるのだ。
という事実を、身に沁みて知ったのは、後日の事である。
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この頃の自分の写真を見てみると、体はまだまだランナーの体型にはなっていない。
走り込みが足りなくて、必要な筋肉が付いていないから、腕や足は見るからにヒョロっとしているし、太腿も細い。
よくフルを走れたものだなと、感心してしまう。
今の僕の体つきと比較すると、まるで別人みたいだ。
長く走り続けていると、体の筋肉の配置が、ガラリと変わってしまう。
でもその頃にも、走りながら、自分の体の組成が日々変化を遂げているという感触があったし、それは心嬉しい事でもあった。
30歳を過ぎても、僕という人間の中には、まだそれなりに可能性が残されていたのだなと感じた。
そのような未知の部分が、走る事によって少しずつ明らかにされつつあるのだ。
そのうちに、増加気味だった体重もだんだん落ち着くべきところに落ち着いてきた。
毎日運動をしていると、自分の適性体重が自然に定まってくる。
一番体を動かしやすいポイントが、見えてくる訳だ。
それに連れて、食べるものも、少しずつ変化してきた。
食事は野菜が中心になり、タンパク質は、主に魚から取るようになった。
元々肉はあまり好きではないのだが、その傾向がますますはっきりしてきた。
米飯を少なくし、酒量を減らし、自然素材の調味料を使う。
甘いものは元々好きではない。
前にも述べたように、僕は何もしないで放っておくと、じわじわ太っていく体質である。
それとは対照的に、うちの奥さんはどれだけ食べても、運動をしなくても、太るという事が全くない。
贅肉も付かない。
その事で、僕はよく
「人生は不公平だよな」
と、思ったものだった。
ある人が努力しない事には得られないものを、ある人は、努力しないでどんどん得ている。
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