2022/6/14 谷村志穂書き下ろし② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」


毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、作家・谷村志穂書き下ろし、フィンランドのヘルシンキを舞台とする2人の男女の物語を、5日間に渡ってお送りしています。


今夜は、その第2夜。


ヘルシンキの街を旅する、一人の女。


港のマーケット広場には、青空の下、新鮮な魚介やたっぷりと太陽を浴びた野菜や果物が並び、目にも鮮やかな光景が広がっている。


数え切れない種類のベリーに、きのこやベーコン。


一通りマーケットを巡り、立ち寄った広場のカフェで、彼女に少し申し訳なさそうに、片言の日本語で声をかけてきた一人の青年。


彼らの出会いは、そんな風に始まった。


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彼とのやり取りは、帰国後もメールやSkypeで続いた。


サマータイムの時期で、時差は6時間。


日本が先だ。


Skypeの場合は、彼が仕事を終えて帰宅するのを、私は深夜まで待つ事になった。


ある時、


「ベリーの味が忘れられないなぁ。


特にあの、リンゴンベリー。


[リンゴンベリー]


日本では、コケモモと呼ぶみたい」


と言った私に、


「だったら、夏の終わりには、またこちらに来なきゃ。


森に、野生のリンゴンベリーを摘みに行こう。


信じられないかもしれないけれど、フィンランドでは、国定公園のベリーも、誰でも平等に摘み放題なんだ。


値段も、フリー。


小さな国だから、みんなが採っても無くならない」


彼はその週末には、森で実をつける準備をしているリンゴンベリーの、薄桃色の小さな花の画像を送ってくれた。


[リンゴンベリーの花]


可憐な花。


鈴が並んでいるよう。


「ほらね。


来なくちゃ」


と、Skype越しに手招きする。


誘われるままに出掛けたのが、7月の終わりだった。


二人でヘルシンキの街を歩きながら、食事をしながら、フィンランドでは、フィンランドの家族は、フィンランドの男は。


沢山の話を、聞いた。


どの話も、私は彼から初めて聞いたに等しく、どこかおとぎの国の話のように響いた。


この国には、徴兵制がある。


入隊すると、皆1本の斧を渡される。


斧で木を切る事ができなければ、フィンランドの男は始まらない。


その斧で切った薪をくべて、サウナをゆっくり準備する。


[サウナ]


サウナは、どの家にとっても、大切な場所。


年を越す時には、家族が順番でサウナに入り、体を清める。


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どんな話を聞いていても、未知の扉が開いていった。


知らない事を知る度に、港のマーケットのカラフルな光景が、脳裏に広がるようだった。


けれど、時々その空は青空ではなく、グレイ混じりに変わった。


彼の元の恋人は、京都の女性だった。


実家は旅館で、サウナのもてなしについて、勉強しに来ていた。


彼は彼女を通じて、自分の国のどんな話が、日本人を驚かせるかを知ったはずだ。


彼女の声や表情や、手の動きから。


そして彼も、日本の事をよく知っていた。


きっと多くが、京都の恋人を通じて、覚えた事だったろう。


「素敵な人だったのね。


だからあなたは、日本人を好きになったんだよね」


私は半分皮肉で言ったのに、彼は屈託がない。


「日本の女性は、リンゴンベリーのお花みたいに、可憐だよね」


「馬鹿」って言いたくなったけど、


「キートス(ありがとう)」


と、サラッと言う。


私は、彼が今も追いかけているのは、京都の彼女の幻影なんじゃないかと、思うようになる。


私はカフェのテーブルで、彼の大きな手を掴んだ。


「そろそろ森へ行こう。


野生のベリー、山ほど食べてみせる」


その旅の出国スタンプの日付の赤字は、ベリー色に見えてくる。


【画像出典】