「新しい空の旅へ」
毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。
今週は、作家・谷村志穂書き下ろし、フィンランドを舞台とする2人の男女の物語を、5日間に渡ってお送りします。
今夜は、その第1夜。
フィンランドの首都、ヘルシンキ。
"バルト海の乙女"と呼ばれる美しい海岸線と、緑溢れる町。
大きすぎず、どこか穏やかな空気が流れるこの町は、徒歩でゆっくりと散策するのが、おすすめらしい。
そんな町に降り立った一人の女性が出会ったのは、片言の日本語を話す、フィンランド人の青年だった。
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機内でパスポートのページを開く。
ヘルシンキ・ヴァンター空港で、出入国のたびに押されたスタンプの日付を、今、順に指で追って見ている。
全てのスタンプが押された時々の気持ちを、私は思い出せる気がしていた。
初めての旅は、6月。
バルト海を行き来するフェリーの発着する、エテラ港のそばのホテルに泊まった。
朝、ホテルの朝食を取らずに、歩いて行った目当ては、港のマーケット広場だった。
[エテラ港]
無数に並んだ黄色いテント。
青い空からの光を透かせて、並ぶ色とりどりの食材を、美味しそうに見せていた。
幾種類ものベリー、きのこやベーコン、豚の形をした、リンゴジャム入りのドーナツ。
胃袋が、いくつもあったらいいのにと思いながら歩き、買い求めた紙袋を抱え、テントが途切れた先のカフェに座っていた。
「一人旅ですか?
あなた、は、日本人、でしょうか?」
男は、片言の日本語で、話しかけてきた。
いつもなら、旅先でありきたりな言葉で声をかけてくる男を、信用しない。
ただ、カモメが飛び交う港のカフェで、彼の方は一人ではなく、家族と一緒のテーブルで食事をしていた。
眩しく、見えた。
「そうですけど、何か?」
と、私が何の変哲もない答えをすると、彼は家族に、得意げに話し始めたのだ。
おそらくフィンランド語で、
「ほら、やっぱりそうだったでしょ」
とでも言っているのだと想像したが、後で知った事には、少し違っていた。
「もういいでしょ。
彼女、なんだか迷惑そうで」
本当は、彼は家族に、そう言っていたのだそうだ。
私に話しかけてみるよう、彼にけしかけたのは、日焼けした肌にブロンドヘアのお姉さん。
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彼は以前にも、日本人の女性と付き合っていて失恋した経験があり、その時もまだ、傷心のうちにいた。
だから、
「ほら、話しかけてごらんなさいよ」
と、姉にけしかけられていたのだった。
家族は何やら、私にはお構いなしに話し続け、けれど気づけば、私はそのテーブルに同席していた。
「フィンランドは、初めて?
あなた、マーケットで、沢山つまみ食いをして、果物、沢山、買いました。
その手と口は、ずっと、動いていました」
母親が身振り手振りで言うのを、彼がそう訳してくれた。
「食いしん坊なんです、私。
それに、あんなに沢山の種類の知らないベリーは、初めて見ました」
私の日本語も、彼が訳してくれた。
私は、自分が買ってきた7種ものベリーの詰め合わせのトレーを、紙袋の中から取り出して見せた。
「よかったらご一緒に。
とても一人では、食べきれませんから」
初めはそうやって、彼の家族に出会ったのだ。
そして、旅の終わりには、彼という一人の男性にも、出会っていた。
最初の出国のスタンプが押された時、空港に見送ってくれた彼に手を振った。
次があるのかどうかは、まだ分からなかった。
だから、きちんと日本人らしく、頭を下げて、出国ゲートを越えた。
【画像出典】