2022/6/13 谷村志穂書き下ろし① | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」


毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、作家・谷村志穂書き下ろし、フィンランドを舞台とする2人の男女の物語を、5日間に渡ってお送りします。


今夜は、その第1夜。



フィンランドの首都、ヘルシンキ。


"バルト海の乙女"と呼ばれる美しい海岸線と、緑溢れる町。


大きすぎず、どこか穏やかな空気が流れるこの町は、徒歩でゆっくりと散策するのが、おすすめらしい。


そんな町に降り立った一人の女性が出会ったのは、片言の日本語を話す、フィンランド人の青年だった。


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機内でパスポートのページを開く。


ヘルシンキ・ヴァンター空港で、出入国のたびに押されたスタンプの日付を、今、順に指で追って見ている。


全てのスタンプが押された時々の気持ちを、私は思い出せる気がしていた。


初めての旅は、6月。


バルト海を行き来するフェリーの発着する、エテラ港のそばのホテルに泊まった。


朝、ホテルの朝食を取らずに、歩いて行った目当ては、港のマーケット広場だった。


[エテラ港]


無数に並んだ黄色いテント。


青い空からの光を透かせて、並ぶ色とりどりの食材を、美味しそうに見せていた。


幾種類ものベリー、きのこやベーコン、豚の形をした、リンゴジャム入りのドーナツ。


胃袋が、いくつもあったらいいのにと思いながら歩き、買い求めた紙袋を抱え、テントが途切れた先のカフェに座っていた。


「一人旅ですか?


あなた、は、日本人、でしょうか?」


男は、片言の日本語で、話しかけてきた。


いつもなら、旅先でありきたりな言葉で声をかけてくる男を、信用しない。


ただ、カモメが飛び交う港のカフェで、彼の方は一人ではなく、家族と一緒のテーブルで食事をしていた。


眩しく、見えた。


「そうですけど、何か?」


と、私が何の変哲もない答えをすると、彼は家族に、得意げに話し始めたのだ。


おそらくフィンランド語で、


「ほら、やっぱりそうだったでしょ」


とでも言っているのだと想像したが、後で知った事には、少し違っていた。


「もういいでしょ。


彼女、なんだか迷惑そうで」


本当は、彼は家族に、そう言っていたのだそうだ。


私に話しかけてみるよう、彼にけしかけたのは、日焼けした肌にブロンドヘアのお姉さん。


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彼は以前にも、日本人の女性と付き合っていて失恋した経験があり、その時もまだ、傷心のうちにいた。


だから、


「ほら、話しかけてごらんなさいよ」


と、姉にけしかけられていたのだった。


家族は何やら、私にはお構いなしに話し続け、けれど気づけば、私はそのテーブルに同席していた。


「フィンランドは、初めて?


あなた、マーケットで、沢山つまみ食いをして、果物、沢山、買いました。


その手と口は、ずっと、動いていました」


母親が身振り手振りで言うのを、彼がそう訳してくれた。


「食いしん坊なんです、私。


それに、あんなに沢山の種類の知らないベリーは、初めて見ました」


私の日本語も、彼が訳してくれた。


私は、自分が買ってきた7種ものベリーの詰め合わせのトレーを、紙袋の中から取り出して見せた。


「よかったらご一緒に。


とても一人では、食べきれませんから」


初めはそうやって、彼の家族に出会ったのだ。


そして、旅の終わりには、彼という一人の男性にも、出会っていた。


最初の出国のスタンプが押された時、空港に見送ってくれた彼に手を振った。


次があるのかどうかは、まだ分からなかった。


だから、きちんと日本人らしく、頭を下げて、出国ゲートを越えた。


【画像出典】