2022/6/1 いつも旅のなか③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」


毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、小説家・角田光代のエッセイ『いつも旅のなか』より、一部編集してお送りしています。


今夜はその、第3夜。


小説家・角田光代の旅は、カリブ海の国キューバへ。


街の風景は、作家が旅してきたアジアの国々や、ヨーロッパとは一味違う。


海沿いの通りを抜けて、16世紀にスペイン人が造った首都ハバナの旧市街へ。


崩れ落ちそうな古い建物が並ぶ裏通りには、人々の暮らしが息づいていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


キューバについて、私が知っている事は全くと言っていいほど無い。


1つだけ知っているのは、アイスクリームを買うのに、3時間くらい並ばなければならない、という事。


これは、テレビで見た。


「物資不足で、アイスクリーム1つ買うのに行列」


というようなナレーションが入り、実際長い長い行列が、画面に映されていた。


キューバは遠い。


物凄く遠い。


私はカナダで1泊してから、キューバ入りした。


飛行場からハバナのホテルに向かう車に乗り込み、窓の外に目を凝らす。


この、飛行場から市街地までの車内が、旅の中でいつも最も不安な時間である。


キューバに着いたのは昼で、強い日差しが光景を隅々まで照らし出していたが、それでもやっぱりヒタヒタと不安である。


段々市街地が近づいてきた気配がする。


それにしても、なんだか光景が奇妙である。


その奇妙さの理由は、すぐに分かる。


看板だ。


街が近づくにつれ看板が増え始めるのは、世界中どこでも同じだが、キューバの看板に、見慣れたものは一切ないのである。


あるのは、チェ・ゲバラばかり。


チェ・ゲバラが、遠い目でどこかを睨む絵に、スローガンらしき文字が、ダーンという感じで書かれている。


[チェ・ゲバラ]


何が書いてあるのか分からないが、パターンを変えて延々続くチェ・ゲバラ看板。


これが、奇妙さの原因である。


ホテルまであと少しという時、窓の外に見覚えのある光景が見えた。


長い長い行列。


「あれ?


これ・・・」


思わず声に出すと、迎えに来てくれたガイドのパブロさんが、


「アイスクリームを買うために、みんな並んでいるんです」


と、私の目線を追って教えてくれた。


「ここのアイスクリームは、すっごく美味しいんです。


だからみんな、ああして待っている」


「えっ?


美味しいから、待ってるんですか?」


と聞くと、


「そう。


すご〜く美味しい」


と、パブロさんはうっとり答える。


なんだ。


それなら、荻窪のラーメン春木屋の前に、冬でも夏でも行列が出来てるのと一緒じゃん。


食事をするのに、前日から並ばなくても良いのだと分かって、ホッとした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


この町は、どうやらチェ・ゲバラとヘミングウェイと、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブで出来ている事に、3日ほどすると気付く。


本当に至るところ、看板、塀、建物の側面、垂れ幕、店の軒先、ポスター、ショーウィンドウの中、もうチェ・ゲバラだらけ。


これは、革命の戦士への敬意とかではなくて、なんかもっと俗っぽい、アイドルスターのポスターみたいなものだと、だんだん思えてくる。


チェ・ゲバラは、ダントツに顔がいい。


永遠の、ハンサムさんだ。


例えば、渋谷には街中、ミュージシャンやタレントの顔入り宣伝ポスターがあるが、用途としては全く同じなんだと思う。


アイドルがいないから、いつまでもチェ・ゲバラで、宣伝するものが無いから、標語が印刷してあるだけ、の違い。


宿を出て、チェ・ゲバラだらけの新市街を抜ける。


道に迷ったら、路地の奥に海を探せばいい。


海が見えなかったら、道行く人に、


「マレコンは、どっちにあるのか?」


と、聞いてみればいい。


海岸沿いに走るマレコン通りは、真っ直ぐ行くと旧市街に出る。


[マレコン通り]


マレコン通りに出さえすれば、どんな方向音痴でも、道に迷う事はない。


純朴な青、という印象の海を左手に見ながら進むと、旧市街に近づいてくる。


雰囲気が一種異様で、圧倒される。


まさに、息を呑む。


通り沿いに並んでいるのは、崩れかけた廃墟なのである。


しかしその廃墟には洗濯物が翻り、3階のバルコニーに住人が佇んで、海を眺めている。


この廃墟は、現役の住居なのだ。


海に背を向けて、旧市街の路地に足を踏み込むと、さらに圧巻である。


屋根が崩れ、塀が崩れ、バルコニーが崩れ、壁はひび割れ、色はとうに褪せた建物が、互いを支え合うようにして立っている。


けれどやはりここにも、生活がある。


屋根の崩れた建物にさえ、人の生活の気配がある。


全く無責任な旅人的発言をすれば、しかしこのボロボロの廃墟は、なんとも言えず美しい。


見惚れてしまうような、正真正銘の美しさだ。


思うに、美しさの源は、時間ではないか?


16世紀にスペイン人たちによって建てられたものが、時間の経過をそのまんま飲み込んで、取り繕う事一切なく、そこにある。


【画像出典】