「新しい空の旅へ」
毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。
今週は、写真家・星野道夫のエッセイ『イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する』より、一部編集してお送りしています。
今夜は、第4夜。
写真家・星野道夫の極北への憧れを掻き立てた、一冊の本。
『動物記』で知られる、博物学者シートンが描いたアラスカの風景は、今も魅力的だ。
そのスケッチに魅せられ、星野はカメラとテントを担いで、北極圏の原野を旅してきた。
神話が息づくこの地で、1万年前に海を渡ってきた人々や、太古の森の記憶に思いを馳せる。
写真家が眠りにつくまで、焚き火は静かに燃えている。
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「ブルーベリーの枝を、折ってはいけない」
アラスカ北極圏西部に広がる原野に、先住民たちが互いに共存してきた世界がある。
ベーリング海に注ぐコバック川と、ユーコン川に注ぐコユコック川に挟まれた土地である。
ボートに1週間分の荷物を積み込み、コユコック川を下る。
キャサリンとスティーブン、息子のアルビンとマイク、そして僕。
この家族とムースの狩猟に出掛けるのは、2年目だった。
9月の川旅は、風が突き刺すように寒い。
シートで体を覆い、足を伸ばして横になる。
30分も経てば、もう村は遠く、過ぎゆく風景は、太古の昔と何も変わってはいない。
川はゆっくりと蛇行しながら、両岸の森を浸食し、トウヒの針葉樹が根を露わにしながら天空に傾いている。
その混沌とした川岸の風景が、僕は好きだった。
昔読み耽った、シートンの『北極平原に動物を求めて』という本があった。
1907年、シートンがアメリカ本土では既に消えてしまった真の野生を求め、極北カナダの先住民の世界を流れる、ピースリバー・マッケンジーリバーをカヌーで旅する、紀行文である。
[シートン]
その川旅を描いたシートンのスケッチは、当時どれほど極北への憧れを誘っただろう?
その中でも、川の流れに削られ、倒れたトウヒが連なる荒々しい岸の風景は、なぜか強く印象に残っている。
そして今、そのスケッチの風景を旅している事に、不思議な思いがした。
先住民(アサバスカン)の祖先は、おそらく1万年前までに、北方アジアからベーリング海峡を経て、アラスカに渡ってきた。
木と毛皮の彼らの文化は、長い年月の中で苔と共に朽ちて、森の中に埋もれていった。
川沿いの集落は、絶え間なく浸食し続ける川の流れと共に、消えていった。
極北の川を旅しながら、姿を消していった遥かな人々の気配を感じずには、いられない。
過ぎ去った時代に思いを馳せる時、人間の歴史が持つ短さに、僕は圧倒される。
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夜のとばりと共に、星の輝きが増してくる。
少し寒くなり、キャサリンはお茶を入れながら話し続けた。
キャサリンの父親は、この土地最後のシャーマンだった。
その事は、彼女の考え方・行動に、大きな影響を与えている。
何気ない会話や仕草の中に、その事を垣間見る事ができた。
キャサリンは、よく運の話をした。
「子供の頃、お婆さんとブルーベリーの実を摘みに行った時の事。
私は、1つ1つの実を摘むのに飽きてしまい、沢山の実がついた枝を折って、お婆さんに持っていった。
その時、こんな事を言われたのを覚えている。
『ブルーベリーの、枝を折ってはいけないよ。
お前の運が、悪くなるから』
やってはならないタブーがあり、その約束を守る事は、自分の運を持ち続ける事なんだ」
彼らは、漠然とした本能的な自然への畏れを、持っているのだろう。
日常生活での、1つ1つの小さな関わり。
そこに、説明のつかない、自然との約束がある。
それは、僕たちが無くしてしまった、生き続けていくための1つの力。
生物としての緊張感、と言っても良いだろう。
今、テントの中で寝入っている子供たちは、その世界を受け継いでいくのだろうか?
「静かに!」
突然、スティーブンが押し殺したような声で叫んだ。
熊が来たのだと思い、ティーカップを地面の上に置いた。
シーンと静まり返った中、焚き火の弾ける音が聞こえている。
「ムースだ」
[ムース]
森の中から、パチン、パチンと、かすかに小枝の折れる音が聞こえている。
耳を澄ましたが、しばらくすると、何も聞こえなくなっていた。
「運がいい。
明日、ムースが獲れる」
キャサリンが呟いた。
トウヒの幹に、キャンバスを結え付けただけの、野営だった。
シュラフに潜り込むと、地面に敷き詰めた小枝が、背中に気持ちいい。
腹を満たし、焚き火に熱らせた体は、温かかった。
寝付けない、というのではなかったが、目が少し冴えていた。
【画像出典】