2022/5/19 イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」


毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、写真家・星野道夫のエッセイ『イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する』より、一部編集してお送りしています。


今夜は、第4夜。


写真家・星野道夫の極北への憧れを掻き立てた、一冊の本。


『動物記』で知られる、博物学者シートンが描いたアラスカの風景は、今も魅力的だ。


そのスケッチに魅せられ、星野はカメラとテントを担いで、北極圏の原野を旅してきた。


神話が息づくこの地で、1万年前に海を渡ってきた人々や、太古の森の記憶に思いを馳せる。


写真家が眠りにつくまで、焚き火は静かに燃えている。


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「ブルーベリーの枝を、折ってはいけない」


アラスカ北極圏西部に広がる原野に、先住民たちが互いに共存してきた世界がある。


ベーリング海に注ぐコバック川と、ユーコン川に注ぐコユコック川に挟まれた土地である。


ボートに1週間分の荷物を積み込み、コユコック川を下る。


キャサリンとスティーブン、息子のアルビンとマイク、そして僕。


この家族とムースの狩猟に出掛けるのは、2年目だった。


9月の川旅は、風が突き刺すように寒い。


シートで体を覆い、足を伸ばして横になる。


30分も経てば、もう村は遠く、過ぎゆく風景は、太古の昔と何も変わってはいない。


川はゆっくりと蛇行しながら、両岸の森を浸食し、トウヒの針葉樹が根を露わにしながら天空に傾いている。


その混沌とした川岸の風景が、僕は好きだった。


昔読み耽った、シートンの『北極平原に動物を求めて』という本があった。


1907年、シートンがアメリカ本土では既に消えてしまった真の野生を求め、極北カナダの先住民の世界を流れる、ピースリバー・マッケンジーリバーをカヌーで旅する、紀行文である。


[シートン]


その川旅を描いたシートンのスケッチは、当時どれほど極北への憧れを誘っただろう?


その中でも、川の流れに削られ、倒れたトウヒが連なる荒々しい岸の風景は、なぜか強く印象に残っている。


そして今、そのスケッチの風景を旅している事に、不思議な思いがした。


先住民(アサバスカン)の祖先は、おそらく1万年前までに、北方アジアからベーリング海峡を経て、アラスカに渡ってきた。


木と毛皮の彼らの文化は、長い年月の中で苔と共に朽ちて、森の中に埋もれていった。


川沿いの集落は、絶え間なく浸食し続ける川の流れと共に、消えていった。


極北の川を旅しながら、姿を消していった遥かな人々の気配を感じずには、いられない。


過ぎ去った時代に思いを馳せる時、人間の歴史が持つ短さに、僕は圧倒される。


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夜のとばりと共に、星の輝きが増してくる。


少し寒くなり、キャサリンはお茶を入れながら話し続けた。


キャサリンの父親は、この土地最後のシャーマンだった。


その事は、彼女の考え方・行動に、大きな影響を与えている。


何気ない会話や仕草の中に、その事を垣間見る事ができた。


キャサリンは、よく運の話をした。


「子供の頃、お婆さんとブルーベリーの実を摘みに行った時の事。


私は、1つ1つの実を摘むのに飽きてしまい、沢山の実がついた枝を折って、お婆さんに持っていった。


その時、こんな事を言われたのを覚えている。


『ブルーベリーの、枝を折ってはいけないよ。


お前の運が、悪くなるから』


やってはならないタブーがあり、その約束を守る事は、自分の運を持ち続ける事なんだ」


彼らは、漠然とした本能的な自然への畏れを、持っているのだろう。


日常生活での、1つ1つの小さな関わり。


そこに、説明のつかない、自然との約束がある。


それは、僕たちが無くしてしまった、生き続けていくための1つの力。


生物としての緊張感、と言っても良いだろう。


今、テントの中で寝入っている子供たちは、その世界を受け継いでいくのだろうか?


「静かに!」


突然、スティーブンが押し殺したような声で叫んだ。


熊が来たのだと思い、ティーカップを地面の上に置いた。


シーンと静まり返った中、焚き火の弾ける音が聞こえている。


「ムースだ」


[ムース]


森の中から、パチン、パチンと、かすかに小枝の折れる音が聞こえている。


耳を澄ましたが、しばらくすると、何も聞こえなくなっていた。


「運がいい。


明日、ムースが獲れる」


キャサリンが呟いた。


トウヒの幹に、キャンバスを結え付けただけの、野営だった。


シュラフに潜り込むと、地面に敷き詰めた小枝が、背中に気持ちいい。


腹を満たし、焚き火に熱らせた体は、温かかった。


寝付けない、というのではなかったが、目が少し冴えていた。


【画像出典】


https://csisolar.co.jp/magazine/scenes23/