2022/5/17 イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

「新しい空の旅へ」


毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。


今週は、写真家・星野道夫のエッセイ『イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する』より、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第2夜。


アラスカに魅せられた写真家・星野道夫は、その著書『イニュニック 生命』の中で、極北の地に息づく生命の輝きと、人々の暮らしを語り続けた。


短い春と夏。


カリブーの群れを追った旅では、ブッシュパイロットの友人ドン・ロスが操縦するセスナ機から見える、ユーコン川の雄大な風景や野生生物の姿を、臨場感溢れる言葉で伝えている。


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『カリブーの夏:海に還るもの』


「ドン、もう少し高度を下げよう」


スロットルを押し、プロペラの回転数を落とすと、セスナ185はゆっくり降下し始めた。


目にしみるような新緑が、どんどん視界を覆ってくる。


[森林]


初夏のアラスカ、北極圏。


穏やかに波打つ、原野の起伏。


這うように続く森、ゆっくり蛇行する川。


そして、無数の湖沼が、早送りのフィルムのように飛び去っていく。


窓ガラスに押し付けた顔が、太陽の温もりで温かい。


半年もの間、凍りついていた大地は、今怒涛の如く、息を吹き返している。


人間の感覚の中で、最も多くの情報を与えてくれるのは視覚だが、それさえも対象との距離で、別の世界を語りかけてくる。


飛行高度は、およそ40メートル。


原野を染める淡いグリーンの、木々の1本1本が見分けられる。


色のパターンなのではない。


息づく、個々の命が見分けられる。


天空に向かって真っ直ぐ伸びる、アスペンや白樺の柔らかい芽吹き。


かつて、あの1本の木の下で、誰かが佇んでいた事があるのだろうか?


わずか2ヶ月もすれば、紅葉、そして落葉なのに、木々は新しいスタートを切った。


誰も見てはいないのに、自然の秩序は、凛として存在し続ける。


森の切れ間から広がる湖に、ムースが水を飲んでいた。


1頭のハイイロオオカミが、キラキラと光る川の流れに沿って、歩いていた。


[ハイイロオオカミ]


翼を傾かせ、小さな弧を描きながら一周すると、僕たちはもう一度狼を見下ろしながら、その頭上を飛び過ぎた。


驚いた狼は一瞬走り出したが、すぐに元のペースで歩き始めている。


ヘッドホンを耳につけ、流れる風景を見下ろしながら、僕たちは話し続けていた。


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隣で操縦する友人のドン・ロスは、もう10年近くアラスカ北極圏を一緒に飛び回った、ブッシュパイロット。


僕はおよそ1ヶ月のカリブーの撮影を終え、迎えに来たドンと、フェアバンクスへ帰る途中だった。


「道夫、お前は気がついているかどうか知らないが、俺はアフリカに行って、この土地の持つ意味が分かった」


この冬ドンは、アフリカのモザンビークで、難民キャンプへ物資を運ぶ仕事をしていて、帰ってきたばかりだった。


アフリカで飛ぶ事、それはかねてからの、彼の夢だった。


「何時間飛んだって、まるで人気のない原野がずっと続いているだろう?


今までそんな風景は、当たり前だと思っていた。


見慣れてしまっていたんだな。


でも、アフリカから戻って、ここが別の世界のように新鮮に見える。


この土地ほど、手付かずの自然が残されている場所は、ないかもしれない。


その事が、アラスカを離れて、身に染みて分かった」


眼下を過ぎていく、きっと名前さえもついていない山や川の流れを見つめながら、僕はドンの言葉を反芻していた。


低空飛行をしているので、山あいの峠をかするように飛び越すたび、新しい世界が突然広がってくる。


アラスカしか知らない僕でも、ヘッドホンから聞こえてくるドンの言葉の意味が、分かるような気がした。


大地を唸る、ユーコンの流れが見えてきた。


[ユーコン川]


この川の解氷が、アラスカの夏を告げる。


そのブレイクアップの瞬間を見るため、ユーコンの畔で数日間を過ごした事があった。


ある日、何の前触れもなく、ボーンという小さな爆発音が聞こえ、半年もの間眠っていた川は、一気に動き始めた。


凄まじい音を立て、ぶつかり合いながら流れに乗ろうとする、無数の巨大な氷塊を見ていると、やはりこの土地の自然が持つ、動と静の緊張感に立ち尽くしてしまう。


あれほどキッパリと季節の変わる瞬間を告げる出来事が、あるだろうか?


今、飛び過ぎていくユーコンは、冬の形跡など微塵も見せず、夏の陽光に輝きながら、とうとうと流れている。


【画像出典】