「新しい空の旅へ」
毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。
今週は、写真家・星野道夫のエッセイ『イニュニック 生命 アラスカの原野を旅する』より、一部編集してお送りします。
今夜は、その第1夜。
写真家・星野道夫は、アラスカの自然と人間の魅力に惹かれ、極北の原野へ旅を続けた。
カリブーやシロクマなどの、野生動物。
ユーコン川やデナリ、天空のオーロラを見つめる目は、どこまでも優しく、大自然への敬意に満ちている。
アラスカを愛し、アラスカに愛された、星野道夫。
彼が残した文章も、その写真と同じように、美しい。
1990年の春、写真家はフェアバンクス郊外のトウヒと白樺の木立に囲まれた森に、家を建てた。
物語は、そこから始まる。
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家を建て、薪を集める。
アスペンや白樺が一斉に芽吹き、フェアバンクスは、早春の淡いグリーンに染まっている。
[フェアバンクス]
紅葉も同じだが、新緑のピークは、たった1日だと思う。
その翌日には、もう夏の緑に向かっている。
「おーい、ジャック。
太陽の光線が、本当に部屋を突き抜けてくるぞ」
2階から、外で丸太の切れ端を整理しているジャックに向かって叫んだ。
「それはそうだ。
そういう風に設計したんだから。
木が少し余ってるから、これを利用して、表札を作ったらいいぞ」
笑いながらジャックが答えた。
家が、出来上がったのだ。
僕がアラスカに惹かれ続けるのは、自然だけではなく、この土地に生きる人々がいるからだろう。
アラスカを旅しながら、いつもそこに、自然と向き合い、今日を生きる人々の暮らしがあった。
様々な人と出会いながら、僕はいつも旅人だった。
この土地に暮らそうと思い始めてから、周りの風景が、少し変わってきたように感じる。
春に南から飛んでくる渡り鳥にも、足元の花や周りの木々に対しても、やはり同じような思いを持つ。
それを簡単に言えば、何かとても近いのだ。
それはまた、命あるものだけでなく、この土地の山や川、吹く風さえも、自分と親しい繋がりを持ち始めている。
初めてアラスカにやってきた頃、あれほど高くそびえて見えたデナリも、今は何か穏やかだ。
その近さはまた、今という時間の座標軸に留まらず、遠い過去の時間へも延びていく。
その切れ目のない繋がりの果てに、今、自分がアラスカで呼吸している。
誰もいない原野で、森で、川や谷で、その気配を感じる事ができるような気がした。
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この夏、南東アラスカのグレイシャーベイを、10年ぶりにカヤックで旅した。
そこは、沢山の氷河がフェアウェザー山脈から、直接海に流れ込んでいる地域である。
[グレイシャーベイ]
多くの氷河が急速に後退し、その後に露出する荒れ果てた土地には、確実に植物の繊維の最初の兆候が見られた。
気の遠くなるような時間をかけながら、幾つもの植物の世代が交代し、いつかここにも森が出現する。
そして同時に、もっと長い地球的な時間をかけながら、陸地は少しずつ狭まっている。
僕たちは今、海が満ちていく時代に、生きているからだ。
今年もまた、カリブーの秋の季節移動が始まった。
冬を過ごす南の森林地帯へ向かう、何万頭というカリブーの群れを見る。
[カリブー]
それは、これまで野生生物の壮大なシーンでしかなかった。
ある意味において、それは、映画を見ているようなものだったかもしれない。
でも、今は少し違う。
自分自身の短い一生と、カリブーの旅が、どこかで触れ合っている。
そして、そこから見えてくるものを、大切にしていきたいと思う。
9月のある日、初雪が降る。
夜になり、ストーブに初めて薪を入れた。
新しい煙突から、最初の煙が、ゆらゆらと昇っていく。
ここが、これからの自分のベースになっていくのだなと思う。
フェアバンクス市から封筒が届いた。
何かと思って開けてみると、固定資産税の請求書である。
そうか、すっかり忘れていた。
これからは、アラスカで税金を払っていかねばならないのだ。
一冬を過ごす薪を、家の脇に積まなければならない。
余った木をチェーンソーで切り、斧で薪を割っていく。
トントン、トントン。
何の音だろうと思い、その方向に歩いていくと、キツツキが古い幹をつついていた。
【画像出典】