「新しい空の旅へ」
毎週、様々な主人公の旅の物語をお送りしている、『JET STREAM』。
今週は、作家・小川哲書き下ろしの旅の物語を、5日間に渡ってお送りします。
今夜は、第1夜。
舞台は、東南アジアの国、カンボジアの首都プノンペン。
彼は、東京で会社員をしていた26歳の時、ある理由からカンボジア・プノンペンへと旅をし、しばらく滞在した。
そして後に、会社を辞め、カンボジアへ移住する計画を立てる。
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僕は今、夜のバンコクにいる。
羽田からプノンペンへ向かう飛行機の、トランジットで立ち寄った。
乗り継ぎ便が遅れていて、時間に余裕が出来たので、市街地へ出てみる事にした。
チャオプラヤー川のクルーズ船に乗った。
以前、仕事で知り合った駐在員がおすすめしていた。
ライトアップされたバンコクのビル街を眺めながら、僕は初めてプノンペンへやってきた時の事を、思い出した。
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当時の僕は26歳で、社会人4年目だった。
それなりに有名な企業にSEとして入社し、毎日丸の内に出社していた。
上司も同僚も、悪い人ではなかった。
と言うより、どちらかと言うと当たりに近かったと思う。
考え方や仕事の進め方に意見の相違はあったけれど、お互いに歩み寄る事ができるほどの違いでしかなかった。
問題は職場ではなく、僕の体調にあった。
僕は小学生の頃から偏頭痛持ちで、数ヶ月に一度、耐えられないほどの痛みが、後頭部を襲った。
頭痛薬を飲んでも完璧には改善せず、学校を1日か2日休む事もしばしばあった。
医者には何度も行った。
大きな病院で、CTやMRIの検査もした。
でも、結局原因は分からず、「ストレス」という抽象的な診断結果だけが伝えられた。
社会人になってから、偏頭痛の頻度と威力が増していた。
数ヶ月に一度だった偏頭痛が、1ヶ月に一度になり、2週間に一度になった。
偏頭痛になると、ハンマーで後頭部を叩かれているような痛みが、僕を襲った。
あまりに酷い偏頭痛が1週間続いたので、僕は会社に申請して、3ヶ月休職する事にした。
原因不明の頭痛に、休職を認めてくれた会社には感謝していたが、社内で出世する見込みは無くなっただろう。
僕は大きな病院に入院して、ありとあらゆる検査を受けた。
それでもやはり、原因は分からなかった。
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休職が始まって1ヶ月経つ頃には、僕の偏頭痛も随分良くなっていた。
この休職期間中に、何としても偏頭痛の正体を突き止めて、治療まで終えてしまうつもりだったのに、最新の医療技術を使っても原因は判明せず、僕は手持ち無沙汰になってしまった。
頭痛は止まった。
しかし、休みは2ヶ月残っている。
僕は上司に相談して、海外へ行く事にした。
病気療養期間でさすがに観光を楽しむ訳にもいかないので、プノンペンの支社で、現地社員に研修をするという名目を作ってもらった。
僕はこうして、カンボジアへと旅立った。
仕事と言う仕事は無かった。
木曜日の午後に3時間ほど、現地のカンボジア人たちに簡単なプログラミング言語の研修を行った。
僕は、残りの時間で英語の勉強をした。
彼らとコミュニケーションを取るためだった。
1ヶ月が経つ頃には、僕の英語もかなり上達して、現地の英会話学校で教わる事もほとんどなくなっていた。
余った時間で、僕は観光に出掛けた。
トゥールスレン博物館で、ポル・ポト時代に行われた虐殺の歴史を知った。
[トゥールスレン博物館]
キリング・フィールドは、ポル・ポト時代に虐殺が行われていた現場で、地中から発掘された無数の頭蓋骨が展示されていた。
[キリング・フィールド]
王宮やワットプノンを見学し、民族衣装を着飾った人々の姿を見て、僕は改めて自分が異国にいると、気がついた。
そして僕は、もう一つ重要な事に気がついた。
カンボジアに来てから、一度も偏頭痛になっていなかった。
【画像出典】