9年と4年 | 【我が道】 七転び八起き

【我が道】 七転び八起き

自分が感じた事、思った事を綴ります。
思い出を残しておくための日記です。


東日本大地震から9年。
神経剥離手術から4年。

こうして「当たり前」の日々が続いていることに感謝。
と同時に、「当たり前」が突然当たり前でなくなることを再認識。

1日でも長く「当たり前」が続きますように。
日々幸せを噛みしめて、感謝の気持ちを忘れず、なるべく悔いがないように生きる。

今日は、ペインクリニックへ。
12回目の高周波熱凝固。
2月の中旬から、神経が潰れている部分を中心に電気が走る。ちょっとしたことで浮腫んで圧迫されて痛くなる。等いろいろと症状が出た。
一番困ったのは、指の動きが鈍くなったこと。痛みで歩き方が変になるから、動きに支障が出たよう。
こんなだから、早く治療してもらいたかったけど、仕事との兼ね合いもあってなかなか治療できず。
久しぶりに辛い感覚を味わった。どんどん悪化するこの感じ。
これまでの経験から、治療後3ヶ月前後で症状が出始めるのは分かっている。だからなんとなく受診日を決めて計画的に治療するんだけど、今回はそうはいかず。
新型コロナウイルスで職場もばたばたして余計に我慢せざるを得ず。

でもやっと、治療できた。
症状が酷かったこともあって、いつもより中枢の神経を焼くことに。
お目当ての神経に当たって、結構な痛み。
3分×3回で終了。
9分腰を屈めて、針を持ち続ける先生。
「腰と手が痛いー」と。
ごめんなさい&ありがとうございます。

針を抜いてから、「麻酔入れ忘れたから、少し経ってから効いてくるかも。そして、初めに入れた表面の麻酔が切れたら痛いかも。」と。
びくびくしたけど、早めに痛み止めを飲んだら大したことなく。
そして効果も抜群。
…今のところ。

これが長く続くとは思っていない。
その間に、リハビリに力を入れる。
外脛骨手術から半年以上経った今も、まだ走れない。
地道な努力なんだろうけど、なんとか少しでも前進できるように。
仕事が続けられるように、スポーツができるようにとお願いした手術。
順調にいけば、もう走れているはず。でも、神経のことがあって、一進一退。
とりあえず、毎日ウォーキング+軽くジョギング。

「神経が元に戻ればいいのに」とどれだけ考えることか。
潰しても問題ない神経だったら低い温度で9分やらなくても、高い温度で1分焼けばいいらしい。
でも、私の場合は潰してしまうとさらに神経が変性して新たな症状が出る可能性が高いらしい。
だから低い温度で変性しないように焼くのだそう。
そして、手術しても「無駄だよ」と改めて言う先生。「切ればまた神経が変に再生するだけ」とのこと。
うん、認めたくないけど、分かってはいた。
「人間はそのうち鈍感になるから、いつか感じなくなるから」と。
うん、理屈は分かる。
でも…と思ってしまう。

前を向いて進めば、時が解決してくれるかな。
いろいろ考えて下さる先生、根気強く治療して下さる先生、リハビリにつきあって下さる先生に感謝。家族に感謝。
仕事ができること、毎日が「当たり前」のように過ぎていくことに感謝。
ささやかなことに感謝し、喜べる人でありたい。