今日も被災者のインタビューを見ていました。毎回この話題じゃいけないとは思うのですが、感じるところが多いのだからしかたがありません。
「家も店も船も流されて無くしてしまった。20代の頃から借金して大きくしてきたのに、全部無くしてしまった。」とある方はおっしゃっていました。ある人は海苔やホタテの養殖の事業をしていて、また始めたとしても出荷できるまで3年はかかる、その間は赤字とおっしゃていました。「ゼロと言うが、ゼロじゃなくてマイナスからのスタートなんだ」と・・。家族や肉親を亡くした事は別として、例えば「株で大損して資産も無くした」、とか「事業に失敗して自己破産した」という人と、今回のように災害で財産を失った人はどう違うのかと、ちょっと考えてしまいました。
当たり前のことですが人には寿命があります。たかだか100年も生きられない人が多い中で、生きているうちにいろいろ仕事をして財産や家族を作り遺していきます。でも、中には1人で生涯過ごす人もいて、世代継承をしない人もいます。また、財産を残しても相続税が払えずに結局全て国に没収されて遺せない人もいます。親子何代かを見れば、人生は浮いたり沈んだりということも多いです。自然の大きな営みの中で、または歴史の長い時間の中で、人の営みはなんとはかないものでしょう。
しかし人はできる限りのことをして自分の人生を全うしていくのです。いずれ死ぬから生きている間はどうでもいいとは普通は思いません。そんなことを言ったら自分の存在に意味がなくなってしまう、「意味が無い」と考える自分もまた意味が無いのです。
事業や投資で損をして財産を無くすのは自分の愚かさでしょうが、そこからも(少数ですが)学ぶ人は学んで立ち直っていきます。一旦ゼロになった人はいろいろな制約から解放されて自由にものを考えることができます。まずは日々食べるための行動、生活の維持が課題ですが、生きていくことだけ考えるならば、それほど大きな収入は必要ありません。年収いくら必要とか、貯金がいくら必要とかの話は、「将来の不安への備え」として不安があるから計算して準備するのです。災害に遭ったというのはその不安が実際に最悪の形で起こったわけです。つまりシミュレーションは崩れたのです。ここからは目の前のことが大事で、日々生きていくことに目的を切り替える必要があります。
災害で命拾いをして「何が幸せなのか」を問い直している方々もたくさんいると思いますが、「ご飯が食べられる」「風呂に入れる」ことがこの上ない幸せだと感じる感性があれば、幸せのハードルは手の届くものになっていきます。一方、事業や投資で失敗した人は価値基準が「お金」になっている分だけ、自分の感性を切り替えることは難しいように思います。価値観の切り替えはそれほど簡単ではありません。存在に関わることを苦しみ悩みぬいて人はやっと変われるのです。
災害で全てをなくされた方は本当にお気の毒だと思います。しかし、価値観の転換、という意味では、抗えない自然の力でこうなってしまったことに私は一縷の希望を見出したいと考えているのです。
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「家も店も船も流されて無くしてしまった。20代の頃から借金して大きくしてきたのに、全部無くしてしまった。」とある方はおっしゃっていました。ある人は海苔やホタテの養殖の事業をしていて、また始めたとしても出荷できるまで3年はかかる、その間は赤字とおっしゃていました。「ゼロと言うが、ゼロじゃなくてマイナスからのスタートなんだ」と・・。家族や肉親を亡くした事は別として、例えば「株で大損して資産も無くした」、とか「事業に失敗して自己破産した」という人と、今回のように災害で財産を失った人はどう違うのかと、ちょっと考えてしまいました。
当たり前のことですが人には寿命があります。たかだか100年も生きられない人が多い中で、生きているうちにいろいろ仕事をして財産や家族を作り遺していきます。でも、中には1人で生涯過ごす人もいて、世代継承をしない人もいます。また、財産を残しても相続税が払えずに結局全て国に没収されて遺せない人もいます。親子何代かを見れば、人生は浮いたり沈んだりということも多いです。自然の大きな営みの中で、または歴史の長い時間の中で、人の営みはなんとはかないものでしょう。
しかし人はできる限りのことをして自分の人生を全うしていくのです。いずれ死ぬから生きている間はどうでもいいとは普通は思いません。そんなことを言ったら自分の存在に意味がなくなってしまう、「意味が無い」と考える自分もまた意味が無いのです。
事業や投資で損をして財産を無くすのは自分の愚かさでしょうが、そこからも(少数ですが)学ぶ人は学んで立ち直っていきます。一旦ゼロになった人はいろいろな制約から解放されて自由にものを考えることができます。まずは日々食べるための行動、生活の維持が課題ですが、生きていくことだけ考えるならば、それほど大きな収入は必要ありません。年収いくら必要とか、貯金がいくら必要とかの話は、「将来の不安への備え」として不安があるから計算して準備するのです。災害に遭ったというのはその不安が実際に最悪の形で起こったわけです。つまりシミュレーションは崩れたのです。ここからは目の前のことが大事で、日々生きていくことに目的を切り替える必要があります。
災害で命拾いをして「何が幸せなのか」を問い直している方々もたくさんいると思いますが、「ご飯が食べられる」「風呂に入れる」ことがこの上ない幸せだと感じる感性があれば、幸せのハードルは手の届くものになっていきます。一方、事業や投資で失敗した人は価値基準が「お金」になっている分だけ、自分の感性を切り替えることは難しいように思います。価値観の切り替えはそれほど簡単ではありません。存在に関わることを苦しみ悩みぬいて人はやっと変われるのです。
災害で全てをなくされた方は本当にお気の毒だと思います。しかし、価値観の転換、という意味では、抗えない自然の力でこうなってしまったことに私は一縷の希望を見出したいと考えているのです。
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