ありがとうLA | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

28日にLAを発ちました。本当に私、引っ越しを舐めていて、2ヶ月あればどうにかなると思っていたけど、全然どうにもならず、最終日に心配した友達が3人手伝いにきてくれました。

 

フライトが午前1時20分発、空港には10時半くらいには行きたい感じ、家から空港まで20分、という状況で、8時半くらいにパッキングが終わりました。この3人のお手伝いがなければ絶対にできなかったと断言できるくらい酷くて、本当に感謝してもしきれません。もうLA方面に足を向けて眠れないくらい。

 

そんな状態だったので、感傷に浸る暇もなく、バタバタで出国しました。でも最後はしっかりIN-N-OUT。しばらく食べれないだろうから。やっぱり最後のIN-N-OUTも美味しかったです。

 

フライト自体はとても快適で、お客さんの数も少なかったです。ガラーンとしてます。

 

 

チェックインもすぐに終わったけど、やることが色々あって、搭乗口で厚生労働省の質問に答えて〜とかやってたら、携帯の充電コードが壊れてしまったことに気づき、慌ててコードを買いに行こうとするも店はしまっていて、中にお兄さんがいたので、お願いしたけどだめでした。
 

諦めて戻って、色々してみたけどできず、到着後に備えて携帯を切ったけど、すぐに搭乗時間になって搭乗の用意をしていた時に、iPodの充電コードが使えることに気づいてホッと一安心。お客さんも少なくて、客室乗務員さんが、席までスーツケースを一個持ってくれて助かりました。

実は、数日前に旦那さんが一時帰国したお友達から聞いたのは、70%くらい乗客がいた、という話だったので、それくらいを覚悟していたのでラッキーでした。

 

さよならLA。窓際もガラガラだったのに、窓際に座らなかったことを後悔。

 

72時間前のPCR検査を受けに行ったときに、もう車を売ってしまっていたので、バスで行きました。車を売った時に、近くの駅まで送ってもらって、そこから電車とバスで家まで帰ったんですけど、久々でかなり楽しくて、LAでバスに乗るって言ったら割と驚かれるんですけど、私はLAでバスと電車に乗るのがとっても楽しかったです。

 

そのPCR検査の場所が一般的にあまり治安が良くないと言われている場所にあって、でもバス+徒歩で行きました。バス降りて歩いてる時。

 

その時に、思ったのが、私はLAのこんな風に雑多な雰囲気が好きだなと思って、各地域にいろんな特色があって、例えばリトルエチオピアとかコリアタウン、ロデオドライブとか全部全然違う街で、そういうところが1箇所に集まっているので、いつまで経っても飽きないところが好きでした。さらにこう言うところを歩いていると、すごく面白いお店があって、そこにふらっと入ってみるのも好きでした。

 

今回はこのお店を見つけられてとても嬉しくて楽しかった。娘がずっと欲しがっていたランチバッグを買ってしまいました。

 

そういう意味で、LAは私にとても合っていたのだと思います。最近、気づいたけど、結局ロデオドライブ、行かないままでした。。。大好きLA!また遊びに行きます。