サッカーに初挑戦 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

7月2日の金曜日と5日の月曜日は独立記念日の振替休日かなんかでとにかく学校はお休みです。私は元々2日にしか行けない用事を入れていたので、学校を休ませようと思っていたため、ちょうどよかった。

 

2日の用事の後、その近くに住むCちゃんと会う約束をしていたのですが、朝、一応確認の連絡をすると、なんとその日から仕事を始めるという。。。私との約束はすっかり忘れてしまっていたらしいw

 

今は本当に時間が惜しいので、それなら他の予定を入れようと他の予定を入れたのだけど、Cちゃんが、夕方、子供のサッカーで公園に行くので、そこで会えると言うので、午前中の用事が終わった後、他のお友達Sさんと公園で会い、その後Cちゃんとまた別の公園で会う、というプレイデートのハシゴをしました。今会っておかないと、多分もう帰るまでに会えそうになかったので。

 

そのサッカーが行われている公園に着いたのは18時で、年齢別にクラスが行われているため、まずは弟くんがクラスを受けていました。お姉ちゃんのMちゃんは、娘より1つ年上だけど、キンダーを2回やったそうで学年は同じ。その友達のAちゃんと3人で早速遊び出しました。こういう時に、一切人見知りをせずに昔からの友達かのように遊び出す娘。そしてMちゃん、Aちゃんは18時40分からクラスが始まるのですが、娘も一緒にやりたいと言い出し、Cちゃんが先生に聞いてくれたら15ドル払えば参加OKとのことだったので、参加してみることにしました。結果的に、Cちゃんが奢ってくれました。

 

男女混合で最初は一緒に走り、ドリブルの練習。先生はちょっと年配の女性の先生で、エラーするとジャンピングスクワットをさせていましたw娘もやってました。

 

次に、女子だけで1対1の試合形式。これが結構娘がうまくてびっくり。あっさりゴールを決めていました。それに慣れてきたら今度は3対3での試合形式。メンバーを何度もいれかえてやるけど、うちの娘、とっても勝ち気で負けると泣くんです。「あっちのチーム、チーター!」と言って泣くので、「そんなことをいうもんじゃない、サッカーというのはそういうもの」と諭しましたが、チーターって日本語で「ずるい!」みたいな感じですかね。最近よく使うんですよね。

 

とにかく、娘の勝ち気さと、あと1時間走り回ることのできるスタミナにびっくりしました。元気になったなあと思って。Mちゃん、Aちゃんともすっかり仲良しになって、また会いたい!と言っています。

 

実はCちゃん家族はチャイニーズなんです。Cちゃんは日本に留学経験があるので日本語ペラペラ。その公園あたりもチャイニーズがたくさん住む地域で、サッカーの生徒も100%アジア系でした。そんなお母さんたちの中で、私とCちゃんが日本語で喋ると、他のお母さんたちがチラッ、チラッと何度も見てくるので、えっ、やばい?と思ってしまいました。

 

サッカー後も公園の遊具で遊び、まだまだ遊びたい、という子供たちを説得して帰りました。その日の日没時間20時04分で、すでに過ぎており、公園から車に乗るまでまたまた一騒動。そこからうちまでは40分はかかるので、家に着いたら9時過ぎてました〜。娘は車の中では寝なかったけど、家に帰ってお風呂に入って、布団に横になってしばらくYouTubeを観ていたけど、もう寝なさい、というと、1分以内に寝ていました。やっぱり疲れてたんだな〜。

 

こんな食いつきがいいならもっと早くからやらせればよかったーと娘に言ったら「え、別にサッカー好きじゃないよ」だって。それにもびっくりだわ〜。

 

Cちゃんとはかれこれ10年以上の付き合い。元々は同じ学校のESLに通っていて、別の友人を介して知り合いました。その頃いた日本人のお友達は皆帰ってしまって、その頃仲良くしていた友達で今でもいるのは私とCちゃんと後一人くらい。

 

Sさんとのご縁もちょっと変わっていて、知り合ったのは随分前で、当時の彼女は日本在住、仕事関係で知り合ったのだけど、その後、彼女がアメリカ人と結婚して引っ越してきたんです。

 

二人とも、頻繁に会える訳ではなかったけど、LAに住んでいたらいつかは会えると思って、その時々の忙しさに流されていたけど、いきなりこんな風に変わっちゃうこともあるんだよね、なんて話をしながら、最後のお別れを惜しみました。