ウィンターダンス | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

この学校に入る前のオリエンテーションのときに、適当にサインナップしたウィンターダンスという行事。子供がパフォーマンスするのを観るだけだと思っていたら、なんと夜の18時から開始のファンドレイジングのイベントだった。ダンスパーティでのファンドレイズは一般的らしい。日本人にはピンとこない。

 

ハロウィンが終わったと思ったら、すぐにそれで、私以外に2人コミッティメンバーがいた。3人共ハロウィンでアート&クラフトブースだった。私ともうひとりは1年生の親、もうひとりはETKの親で、すべて女児で一人っ子、という共通点。ハロウィンの片付けをしつつ、クリスマスのものを出し、準備をしている最中に、一人が就職してしまった。なので後半はETKの親のGと二人でやってきた。といっても、Gはアーティストなので、どんなふうにデコレーションするかを決めて、私は言われたとおりに動いただけ。しかしさすがアーティスト。すごく素敵に飾り付け案を考えてきてくれて、とっても素敵になった。

 

当日の2週間前からすごい量の空の段ボール箱をひたすらラッピング。私は毎日10時までと決めて通ってラッピングした。でもGはもっと働いてるはず。Gが買ってきたMerry Christmasというラッピングペーパーもダンボールにラッピングしたら、たまたまピアレンツセンターに来た先生がクレーム。特定の宗教のものはちょっと、ということで、新しいラッピングペーパーを買い、その上にさらにラッピングした。私は仏教徒だけど気にしないけど、気にする人もいるのかな?なので最近はHappy Holidaysが一般的になっているとも聞いた。

 

ダンスパーティ(一人前売り5ドル、当日7ドル)以外に、フードトラック(売上の10%が学校に入る)、5ドルのフォトブース(写真を撮って、プリントしたものを枠と一緒に渡す)、ラッフルで、お金を集める。

 

当日は朝8時から夜8時までずっと学校にいた。当日しか講堂を飾り付けできなかったため、当日にあらゆることをやる。父兄のボランティアが入れ代わり立ち代わり来てくれたけど、基本私とGはずっと何かしらをしていた。

 

娘たちとピックアップしたあとは、Gの娘のJとうちの娘は仲良くなってずっと遊んでくれたので助かった。2つ年下なんだけど。

 

その頃には、Gの旦那さんがやってきた。彼もアーティストで、DJをやってくれるそうな。DJができる旦那ってかっこいい。そのお友達でもうひとりDJがと、フォトグラファーも来てくれた。

 

開始は18時だが、17時すぎにはお客さんが来はじめて、18時開場と書いてあるけどチケット販売が何時からとは書いてないので、皆が聞いてくる。しかし、チケットはPTA役員しか売ることができないので、私達には何もできない。PTA役員は開場5分前にようやくやってきた。その頃には長蛇の列ができていた。

 

娘はたくさん友達がきたので、その子達と踊るというか遊んでいて、私はチケット売り場の横で、チケット代わりのニコちゃんマークをひたすら手の甲に描いていた。皆、「ハッピーマーク♡」と言って喜んでいたが、油性ペンで手の甲に描かれるの、嫌じゃないのかなー?

 

今回のイベントのために、フードトラックもきていて、売上の10%が学校にはいるそう。校長先生が自費でスナックを子どもたちのために提供してくれていて、ポップコーンとかチップスとかそういうの。それがあっという間になくなり、追加しにいく。校長先生から親は食べるなとお達しが。

 

フードトラックに行くと長蛇の列。買うのやめようかと思ったが、娘が飲み物がほしいというので、列に並ぶ。結局注文までに30分、食べ物が出てくるのに30分かかり、開場に戻ったらもう終わるところだった。。。列に並びながら、学校近くにある吉牛のことばかり考えていた私。吉牛にしておけばよかった。

 

終わって片付け。デコレーションは次の週の子どもたちのパフォーマンスに使うので、そのまま置いておいていいとのことなのですぐに終わったのはラッキーだった。私はとりあえずは、次の日の補習校のことがあるので、急いで帰った。車までの道すがら、娘が今日は本当に楽しかったー!って言ってくれて、やった甲斐があったな、と思いました。