LAUSDのストライキ問題4 実際に参加してみました | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

1月14日(月)ストライキ決行の日。朝から雨。私は土日、出ずっぱりで休めていなかったのでストライキ決行を知って、つい朝寝坊をしてしまった。

 

参加できるのは二種類。各学校で行われるpicket lineに参加する、もしくは朝10時半からダウンタウンで行われるRallyに参加する。


Picketは初めて聞いた単語。調べてみると​​​​​​​

1 ピケ(ライン).
2【陸海軍, 軍事】 前哨線,警戒線.

と出てくる。学校の前でやるっていってたから、プラカード持って集まってなんかワイワイやるのかなと。

 

Rallyは「(政治的・宗教的な)大集会; 示威運動」のこと。

 

いずれも赤い服を着て行くってことで、娘とともに赤い服を着たが寒いので上着を着ると赤が隠れるっていうね。。。

 

10時半からダウンタウンで始まるのに、10時半に最寄りのバス停にいて行ったら終わってるんじゃないかと思ったけどとりあえず行く。

 

レッドラインに乗り換えた頃からプラカード持った赤い人がたくさん乗っていて、「あなたもいくの〜?」と声をかけついていく。Rallyの最寄り駅につくともう帰っている人もいたけど、今から行く人もたくさん。道案内の人が「マーチはあっちよ〜」と教えてくれるのでそちらにいくと、道路は完全に封鎖され、たくさんの人がいた。

 

 

誰もいないじゃんって思ったら、

 

角を曲がったところにたくさんいました。

 

 

 

私達も皆に混じってあるき始めた。行きたいと言った娘は寒いと泣き出し、おんぶをしながら傘をさしての行進は疲れた。仕方なく、ワンブロックだけ歩いて帰ることに。もっと長く歩きたかったのだけど。娘と同い年くらいの男の子も傘さして一人で歩いてた。

 

皆、うーうー言いながらあるいていて(なんて言っているのかは不明瞭で聞き取れなかった)、ゆっくりと進む感じ。上空ではずっとヘリコプターがパタパタと飛んでいた。

 

お昼に近かったのでお昼ご飯を食べに行き、学校でのPicketに合わせて戻る。結構な雨の中、2、30人が立って、通る車にヒューヒュー言っていた。車もクラクションをならしてそれに応える。

 

Fcebookの他校の動画では、学校の前を列になってぐるぐるまわっている映像だったので、ちょっと意外だった。ピザ配給所があって、ピザを配っていた。お決まりのペペロ二とチーズ。

 

隣のクラスの親子がいたので話をする。今日は約1/4の生徒が登校したそうだ。学校に行かせないほうがストライキの助けになるので、いい数字だと言っていた。

 

皆が傘を持っているので気付かなかったが、担任の先生がいて、話した。いつまで続くか分からないそうだ。30年前は1週間半続いた。子供を学校にこさせない方がいい、今日も映画を観て、図書室に行って、そんなに楽しくない一日だった。講堂は寒いし、Yは体が弱くて風邪を引きやすいから、家にいたほうがいいよ、私もうちの子は今日は学校に行かせなかった、と言っていた。

 

Picketは2−4時の間の予定だったが、雨がひどいからなのか、3時半には終わっていた。明日もストライキ続行の様子。明日は家で一日ゆっくりする予定。

 

家に帰ってFacebookを見たら、2万人が参加した、と書いてあったので、結構な数が参加したんだなあと感心した。