僕の好きなブログから
初めて苗字の変わった賀状を貰った。
異様な気持ちであった。
「お嫁には来ましたけれど、心はもとのまん
まの智恵子ですから」と書いてあった。
そうして自分のところでこさへたバタを送っ
てくれたと書いてあるが、東北線の汽車雪で
おくれてるのでまだ着かない。
「明治44年書簡」石川啄木(1911年)
友人に宛てた手紙の中でも、啄木は「異様な
気持ち」を吐露しています。
そして、このとき、非常に重要な役割を果た
したアイテムが「バタ」でした。
空知地方の北村牧場へ嫁いだ智恵子は、自分
の牧場で作ったバターを啄木に宛てて送って
いたのです。
そうして、一首の有名な作品が完成しました。
石狩の空知郡(そらちごおり)の
牧場のお嫁さんより送り来し
バタかな。
「悲しき玩具」石川啄木(1912年)
北菓楼のこのお菓子は、もちろん、啄木のこ
の作品をモチーフとしたものです。
北菓楼自体、空知郡(そらちぐん)のお菓子
屋さんですので、まさに作品にぴったりのお
菓子だったのでしょう。
啄木ファンならずとも一度は口にしていただ
きたい、北海道銘菓ならぬ「空知銘菓」です。
石川啄木が北海道にやってきて暫く滞在した
のは有名な話。
函館、札幌、小樽、釧路と転居して、それぞ
れの地で短歌を作っている。
1年の北海道での遍歴の後で上京し、その後
「一握の砂」が約3年後に発刊される。
その基点となったのは上京直後の明治41年
6月の連作とも言われている。