過去のブログより。
「無頼」を辞書でひくと「無法な行いをする
こと」ということになる。
そして「無頼漢」は「ならず者、ごろつき」
とある。
しかし、もう一つの意味として「無頼」には
「頼るべきところのないこと」ともある。
いずれにしても、あまり良い意味では使われ
ない言葉であろう。
一方、個人事業者や大きな組織に属さない人
間は自分や取り巻きの少数の人間以外に頼る
べきものを持たない。
その意味では、こうした人々は「無頼」のも
つ第2の意味の対象であると言えよう。
今回の首相関連の「お友達」や「忖度」の問
題を見ていて思うことは無頼の必要性という
こと。
問題の結末はいいとして、国会での役人の答
弁や自民党の幹部の物言いや態度には組織に
寄り掛かった、あるいは寄り掛からざるを得
ない立場の人々の同一性が見て取れる。
それは真実を正直に発言しようという誠意や
態度が感じられないことである。
これは多分、これらの人々にいい意味での「
無頼」がないからであろう。
あーあ「無頼」で良かった。
1年後に「無頼」でない人達から大量の上記
に関連した書類が提出された。
無いと言っていたものが、こうして提出され
(都合が悪くなると出てくる)、隠ぺいとも
言えることが表層化する。
若年者の中で公務員志望の人達が増え続けてい
る気がする。
変化の時代に気後れして、安定志向になること
は理解できるが、自分の矜持を失った存在には
ならぬ覚悟で生きぬいてもらいたいものだ