過去に「ノマド」に共感し賛同してきた者とし
ては簡単に、この言葉の良さを捨て去ることに
は抵抗がある。
まず、言葉の響きの良さがあり、覚えやすさが
ある。
そして遊牧民の意味がある、その言葉に自由や
活動力を含意として感じるのは私だけであろう
か。
我々の組織は過去に「ノマド」的に活動してき
た。
6年間に事務所は3ヶ所目で、移動する度に、
スペースは狭まり場所は中心から離れ(僻地に
)、都度移動のための費用や手間が掛かりなが
らも、その時の事情に即応しながらやってきた。
また、オフィスなどなくても喫茶店、屋外、ち
ょっとした場所で文章も書ければメモも可能、
事業や仕事のアイデア作りも場所を選ばず出来
るし更に会議や打ち合わせも可能、と考えてオ
フィス代わりの貸スペースや時間貸のオフィス
や貸会議室や公共のスペースで「仕事」を行っ
てきた。
確かに、ただ、流行りでコじゃれたカフェでカ
ッコつけてパソコンで内容の乏しい「作業」を
やっている連中を「ノマド」の範疇に入れたく
ないということには賛成だ。
「ノマド」の本質は自由で柔軟で、ただ移動の
スピードが定住に比してはるかに上回り、その
ことが利点となって重厚長大な企業や組織には
不可能なスピーディで中身の濃い「仕事」が出
来るものということだと考える。
従って、いい意味での「ノマド」は評価され続
けるであろうし、その本質的に意味されるとこ
ろの活動力や行動力、意思決定の早さなど、そ
して、その基盤となる「自由」も失われること
なく「ノマド」の中に存在し続けると思えてな
らない。