社会に効率主義や成果主義が行き渡ると、同時に居心地
が悪くなるのが「無駄」。
効率的にしごとを終わらせることは非常に重要です。
そしてしごとの余暇時間で人生をエンジョイすることは、
誰しも望むところ。
効率主義は仕事人のバイブルであることは否定のしよう
がないと思われます。
しかし、社会に必要な無駄も沢山あるのです。
仕事の合間にボーっと考えたことから大発見が生まれる
ことやふっと湧いたアイデアで大きな仕事のきっかけを
得るなど効率的な時間の過ごし方だけでは得られないも
のがあることは良く知られていることです。
ただし私が考えるに、毎日がボーっと過ぎている人には
上記のような幸運は訪れないだろうということです。
問題意識のない毎日は安直な慰安には満ちてはいるが、
ただ平々凡々と時間が流れるだけで何も生まないし、発
展性もないとしか言いようがありません。
何かについて日常的に固執し考え続けているからこそ、
考えを中断しボーっとした時に、ある考えの層のような
ものを突き破ってアイデアが表層に生まれ出るのではな
いかと思います。
こういう意味で「無駄の効用」があると考えます。