『世の中ね、顔かお金かなのよ。』 っていうシュールな回文(文末から読んでも同じ音になる、)がある。初めて聞いたときの衝撃たるや(いろんな意味で)、おかげでずっと忘れない。
… (º_º*) ‥
それで。
生産性かよ! ‥なのです。 最近は人間を(金銭的)生産性で振り分けるのが主流らしく。
( ロボットに人間性を追求し、人間に生産性を追求する‥わけわからん(−"− ;) )
無論、人間はその造形だとか生産性とか、一面的な判断で価値を推し量ることが出来ない。もしかしたら、存在に価値という定規を当て嵌めようとした時点で認知が歪み始めているのかもしれない。
存在の価値、ではなくて 存在が価値、だと
おもうのです。
(稀に 物理的存在を失った後も価値として在り続ける人もいる、)
若く、心身ともに健康で不備が無く、じゅうぶんな経済力を備えている人間だけが「認められ」、
年老いている、心身に不備がある、経済的に恵まれない、―これらは人口に一定数(個人が望む望まざるに関わらず)必ず含まれるファクターなのに― 人間は存在をも責められて当然という社会に心地良さがあるとすれば、それは他者蔑視と自己優越の幻想によるもののような気がする。
どんなに品行方正な人間でも必ず老いる。幸運にも社会的弱者を免れて人生を送れたとしても、最終的に排他的な扱いが待ち受けることになる。
推進する人は、不老不死の水でも飲んでいるのかしらん?
(・∇・)
✻ 先日の仙台にて、宇宙的に巨大複雑化した問題討論を聴く。
向き合い続けることで見えてくる、闇とひかりは抜きつ抜かれつ‥