人生を花に例えることは多いような気がする。
わたしは今まで、チューリップのようなひとつの個体をイメージしていたのだけれど
最近は桜のような、集合体としてもひとつの姿を成す花のイメージに変わりつつある。
芽がひとつだけ伸び、ひとつだけの蕾を育み咲かせる、、
そんな一本道を突っ走るような生き方は、むしろ稀ではないかと思うのだ。誰の人生でもそんなに単純ではない。それなりの紆余曲折を経ながら、つっかえつっかえ迷いつつ悩みつつ、生きているものだと思う。
幹となる、その心に捉えられるままに
些細な喜びも、記念碑的な栄光も、ひとつの花として開く。
蕾のままで終わるもの、芽にすら成れなかった想いも、当然にある。開く花より多いかもしれない。でも、
わたしの感覚では、咲くまで至らなかった想いが、だから無駄とは思わない。心が根を張る土壌はそれを糧として、より豊かに肥えるだろうと、思う。
与えられた日常を、小さな花を咲かせながら生きる。
心の持ち様で、なんでも花と咲くだろう。微笑みひとつ、優しさひとつ、心地よい風に吹かれても。
そうして、最終的に出来た集合体が、それなりの姿を成していれば、満足に値する人生と言えるのではないだろうか。
咲いた花の数だけが問題ではなく(たとえば桜と梅では魅力が違う)、
過去に咲かずの花がどれだけあったとしても無関係に、
完成した姿だけを眺めればよい。
逆を言えば、
どんなに力を注いだ蕾が開かなくても、決定的な失敗というものがない。
芯の心が枯れない限り、いくらでも挽回できるし方向も変えられる。
楽しみながら育てたい。
わたしは人生に不器用だから、全体を眺めたときにはきっと笑ってしまうだろうけれど。
(*´∇`)/ ゚°*・.*゜