こうして特別華やかに区切られた時間に、独りで毛布にくるまって頭痛を抱えているのはなかなか侘しいものだ。部屋は寒くてしんとしている、外はもう穏やかな大晦日の午後。
実家では暖かい部屋に久しぶりに家族が集結して、正月特有のだらだらした時間を持て余しているだろう。
普段であればいつもの調子悪い一日に過ぎないのに、今が特別ハレの期間であるために惨めさは度を増してのし掛かる。
そんなものはねのけて私も街へ繰り出せばいいとも思うが、とにかく寒くて頭が痛い。それに加えてこのじっとりと重く湿った心の有り様では、外出など考えただけで力尽きる。
孤独だけではない、虚しいのは一人だからという理由だけではなくて、わたしにまとわりつく数多の鎖の総合的なものが結果的に私を縮こまらせて動けなくしている。
一人で正月を迎える人などざらにいるだろうし、抱えた病気や障害の調子が悪いタイミングで新年を始める人もどれだけいるかわからない。そしてそのふたつが被った状況である存在も、少なくはないはずなのだ。
だから
私はやたらに惨めたらしい気分になる必要はないし、大袈裟な悲観にくれるのはむしろ恥ずべきことだと思う。言い聞かせる。
これからどれだけ寂しい想いを抱くかわからない。
どれだけ苦しく哀しく虚しい時間を一人で過ごさなければならないか知れない。
たぶん増えてゆく。
私はそれに慣れなくてはならないし、なるべく穏やかな気持ちで受け流すようになれれば尚よい。
一般的な将来ではなくて私の将来を、覚悟して待ち受けなければと思う。それを不幸か幸かと判断するのは別問題で、おそらくあまり重要ではない。
今日を生きて、明日を待つ。
ただそれだけを失わず。